『ダゴン』(翻訳)
去年の7月にTwitter「実況」で使った『ダゴン』のテキスト、データが複数のPCに入っていたり、アドリブで変更した箇所が保存データに反映されていなかったり、完全に自分の管理能力のなさのせいですが、とっちらかった状態になってしまっていたのを、いまさらながらまとめてみました。全文は「続きを読む」から。批判、非難などご自由にどうぞ。
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いま、精神的に非常に追い詰められた状態で、これを書いている。
今日、夜が更けるころには、もう生きていないだろう。
有り金は尽きたし、それだけがよりどころだったクスリも、手持ちがなくなった。
これ以上、苦しみに耐えていくことはできない。
だから、いまいる屋根裏部屋の窓から、下をとおっている汚らしい路地に、身を投げるつもりだ。
モルヒネ中毒のせいで心身ともに弱ってしまったのだ、とか、おかしくなってしまったのだ、と考えないでほしい。
時間がないので、ひどい文章になってしまうとはおもうが、これから書いていくことを最後まで読みつづけてもらえれば、わかるはずだ。
どうしてクスリに頼ってまで過去を忘れようとし、それがかなわなくなったいま、死を選ぶことにしたのかを。
もちろん、この苦痛がどのようなものだったか、経験していない他人には完全には理解できないとおもうのだが。
積荷監督として乗り組んでいた船がドイツの略奪船にやられたのは、広い太平洋のうちでも最も岸から遠く、めったに交通のないあたりだった。
大戦はそのときはじまったばかりで、奴らの海軍も、それほど切羽詰まっていたわけではなかった。
だから我々の船も、法に則って拿捕され、乗員は海軍の捕虜として、公正に、かつ配慮をもって扱われた。
実際、おおらかすぎるほどの扱いだった。
それもあって、捕えられた5日後には、ちいさなボートに充分すぎるほどの水と食料を積んで、ひとりで脱走することに成功した。
ドイツ船から離れ、自由の身になったはいいものの、自分がどのような場所にいるのか、ほとんどわからなかった。
船員はしていたけれども、腕のいい船乗りではなかったので、太陽と星の位置から、赤道のやや南にいるのだろう、という程度の推測しかできなかったのだ。
経度はまったく不明だったし、見渡すかぎり、島も海岸線もない。
天気はずっと快晴で、何日も何日も、灼熱の太陽の下を、あてもなく漂流した。
他の船が通りがかるか、人が住めそうな陸地に流れつくことを期待していた。
けれども、船も陸地もあらわれることはなく、どこまでも続く青い海を前にして、孤独にさいなまれ、希望を失いはじめた。
状況に変化があったのは、寝ているあいだのことだった。
何が起きたのか、詳しいことはわからない。悪夢に悩まされ、心地よくもなかったものの、しばらくは眠り続けていたからだ。
ようやく目が覚めたときには、もう自分の身体が半分ほど、ねばついた泥のようなものに飲み込まれかけていた。
見まわすと、周囲一面、目の届く範囲全体が、黒々として不気味に波打つぬかるみに覆われている。
そして、すこし離れた場所の、同じような汚泥の上に、そこまで乗ってきたボートが打ち上げられていた。
それほどまで奇怪で唐突な風景の変化に遭遇したのに、驚きはなかったのか、と考える人もいるかもしれない。
それはそれで理解できる考えではあるけれども、そのときにまず感じたのは、驚嘆よりも恐怖だった。
空気の中にも、どろどろとした土にも邪気が満ちあふれ、身体の芯まで凍るようなおもいだったのだ。
一帯には悪臭がたちこめていた。
腐った魚の死骸や、どこまでも続く不潔な泥の平原のあちらこちらから突き出している、原形をとどめていない数々の物体から発せられているのだろう。
この、限りないまでの沈黙と、無限に続く荒涼さのただなかで遭遇した醜悪さの塊は、言葉などというものでは表現できないのかもしれない。
そう、あたりに音を立てるものは何もなく、黒い粘液状の地面の他には何も見えなかった。
だが、周囲の完璧な静かさと、景色の異常なほどの均一さが精神を圧迫してきて、恐怖のあまりに吐き気すらおぼえるほどだった。
雲のない空から太陽が照りつける。あまりの熱暑で、その輝きが、足下の沼地の色と同じ漆黒に見えた。
ボートのところにようやくたどりつき、這うようにして中に入る。
そして、そのとき気がついた。
この状況に説明をつけるとしたら、ひとつしかない。
火山活動だ。
前例がないほど大規模な噴火によって、海底の一部が、海面まで上昇してきたのだろう。
それによって、何千年も何万年ものあいだ深い深い水中に没していた一帯が、陽光の下にさらされることになった。
新しく浮上してきた陸地がとても広かったので、この場所からはどんなに耳をすましてみても、すこしも波の音を聞くことができないのだ。
死んだ魚に群がる海鳥がまったくいないのも、それで納得がいった。
それから数時間は、ボートの中に座って、考えこんでいた。
考えていた、というより、どうしたらいいのだろう、と頭を悩ませていたといったほうがいいかもしれない。
ボートは地面の上で横倒しになっていて、上空を進んでいく太陽から、わずかながら陰を作ってくれた。
時間が経つにしたがって、地表は固くなっていくようだった。
もうしばらく乾くのを待てば、容易に歩いて渡れるようになるだろうとおもえた。
その日の夜は、ほんのすこしだけ睡眠をとった。
翌日には、水と食料を荷作りした。
目の前から消えてしまった海を探し、救援を求めるために、徒歩で陸上を行くことにした。そのための準備だった。
3日目の朝には、地面は十分に乾き、苦労しないで歩けるようになっていた。
魚の臭いはあいかわらずひどかったが、それに意欲をくじかれることもなく、先の見えない道に一歩を踏み出した。
悪臭など、成し遂げなければならないことに比べれば、ささいなことだった。
起伏に富んだ荒野の彼方に、他よりも高く盛り上がった丘があったので、その日は一日中、それを目印に、西に向かって進んだ。
夜になって野営をし、次の日は、再び同じ丘を目標に歩き続けた。
けれども、丘は、最初に目撃したときと比べても、まったく近づいてきているようには見えないのだった。
4日目の夕方になって、目指していた丘の麓にようやく到達した。
けれども、そこから先に進むのは、遠くから見て予想していたほど容易なことではないようだった。
丘は想像以上に高く、さらに手前には谷が深く切り込みを入れ、周囲の地表と丘を分断している。
そこを登っていく気力はもうなかったので、丘が投げかける陰の中で休息をとることにした。
なぜかはわからないが、その夜はひどい悪夢に襲われた。
冷たい汗を体中にかいて目を覚ましたのは、奇妙な形をした欠けはじめの月が、東の平原の上に高く上がるよりも前のことだった。
そして、二度と眠りにつくことはできなかった。
ふたたび同じ夢を見ることに、耐えられそうになかったからだ。
眠れないまま、月の光に打たれていると、ふと、それまで日中に旅をしてきたのは愚かなやりかただったのだ、と気がついた。
強烈な太陽の日射しがなければ、余計な力を奪われることなく移動できる。
実際、日が沈みきる前だったさきほどはあきらめたけれども、いまだったら丘の頂上まで行けるかもしれない、とおもった。
そこで荷物を拾い上げ、斜面を登りはじめることにした。
それまで通過してきた平原の、完全なまでの均一さが、漠然とした恐怖を感じる一因となっていた、ということは、しばらく前に書いたとおもう。
けれども、丘の頂きにたどりつき、登ってきたのとは反対側の斜面を見下ろしたときにおぼえた恐怖は、さらに大きなものだった。
そこには、竪穴か、あるいは峡谷ともいうべきものが、黒々とした口を開いていた。
月はまだ空の低いところにかかっており、その光は谷間まで届いていない。
いま、自分はこの世の果てに立っていて、永遠に続く夜の、底なしの混沌を覗きこんでいる。そんな錯覚さえおぼえた。
不思議なことに、恐怖を感じながらも、ミルトンの「失楽園」と、魔界の王が虚無の暗闇の中を登っていく場面のことが心に浮かんだ。
月が高く上るにしたがって、峡谷の崖がそれほど切り立ったものではなかったことがわかってきた。
突き出したり盛り上がったりした岩を足がかりにすれば、比較的簡単に下っていけそうだったし、数百フィートほどいけば、その先はなだらかになっていた。
自分でも説明することができない衝動につきうごかされて、岩にしがみつきながら崖を下り、斜面のゆるやかになっているところまでたどりついた。
そして、そこに立ったまま、まだ月の光の達していない、深い暗闇の中に視線をむけた。
すぐに、百ヤードほど先の向かい側の斜面に屹立していた、巨大で異様な姿の物体に目を奪われた。
その物体は、上り続ける月の光を新たに受けて、白く輝きだしていた。
ただの、非常に大きな岩石にすぎない。
そう判断はしたのだけれども、自然の力だけによってその形状になり、そこまで運ばれたのではないのかもしれない、という印象を拭いさることもできなかった。
より詳しく検分した後で、その印象は確信と驚嘆に変わった。
人知を超えた大きさ。地球ができたばかりのころから深海の底にあったとおもわれる場所に設置されていること。
それらの事実にもかかわらず、この物体には、知能のある生物の手によって整えられ、そして、信仰の対象にされたらしき形跡があった。
驚きと恐れに支配されながらも、同時に、新発見を目の前にした科学者や考古学者が感じるような興奮もおぼえ、より詳細に周囲を観察することにした。
月は天頂に達し、この峡谷を高くとりかこんでいる険しい崖の上で、奇妙かつ鮮明に輝いていた。
その光で、谷の底には水が広がっていることもわかった。
水の流れは左右に続き、両側で曲がって、視界の中から消えている。
水面は、そのとき立っていた斜面の近くにまで迫ってきていた。
谷の向こう側では、例の巨大な石造物の足元が、小さな波に洗われている。
そのときになると、その表面に、荒い輪郭の像や文字が彫られているのがわかるようになっていた。
文章は見たことも聞いたこともない象形文字でつづられていた。
文字の多くは、水棲生物を記号化したものだった。
魚、ウツボ、蛸、甲殻類、貝類、鯨……。
そして、いくつかの文字は、すでに絶滅した海の生物を表しているようだった。
現在の地球上には生存していない動物。けれども、峡谷にたどりつくまでに通過してきた平原の上で、それらの崩れかけた死骸は何度も見かけていた。
象形文字よりもさらに奇妙なのは、絵画的な彫刻のほうだった。
石の表面に、レリーフが列をなしてほどこされている。
それらの異常なまでの大きさのせいで、あいだに流れる水を隔てても、なにが描かれているか、はっきりと見ることができた。
描き出されている対象は、画家ギュスターブ・ドレをも狂おしくさせそうなものばかりだった。
人間をモチーフにしているのは、間違いなさそうだった。ただし、ある種の「人間」を、であったが。
海中の洞窟の中に遊ぶ姿や、海面下にあるとおもわれる石造りの祭壇に祈祷を捧げている姿。
それらの「人々」の体形や顔については、詳しく書き残したいともおもわない。
思い出そうとするだけで、頭がくらくらし、気を失いそうになってしまうからだ。
ブルワーやポーの想像力ですら及びもしないほどに醜悪なそれらは、忌まわしいことに、人間とよく似た全体像をしていた。
けれども、手足には水掻きがあり、唇は横長でぶよぶよと膨れ、目は透きとおって、顔から飛び出している。
そして、その他にも、思い出したくもないいくつもの身体的特徴を備えていた。
奇妙なことに、それらの人物は、背景に対して非常に不釣合いな大きさで石に刻まれていた。
たとえば、一体が鯨を狩ろうとしている絵の中には、人物が鯨とほとんど変わらない大きさで描かれていたのだ。
いま書いたように、「人々」は醜悪な姿で、大きさも奇妙なものだった。
けれども、レリーフを見た後ですぐに、それらは原始的な漁労民族か海上民族が考え出した、空想上の神のようなものに過ぎないと判断した。
ピルトダウン原人やネアンデルタール人の遠い祖先が出現するよりもはるか前に最後の一員が死に絶えたような、古い民族によるものだったのだろう。
無謀すぎる人類学者でも考えつかないほどに遠い昔の遺物に触れることになるとは、予想外のできごとだった。
心を動かされ、しばらくのあいだ、さまざまなことに思いをはせながら、立ちつくした。
目前をおだやかにたゆたう水の上に、月がゆがんだ影を静かに落としていた。
そのときだった。
わずかに水面を乱しながら、それが浮上してきたのは。
そいつは暗い水の上にまで姿を現し、視界の中に滑りこんできた。
巨大で、巨人ポリフェマスのようで、気味の悪い姿をしたそいつは、悪夢に出てくる怪物のように素早く石造物の元へと走った。
そして、そのまわりに、長く大きな恐ろしい腕を絡めた。
そのあいだずっと、そいつは不気味な頭を振り回し、一定の音を発し続けていた。
そのときに、気がおかしくなってしまったのだとおもう。
無我夢中で斜面と崖を登り、わけのわからないままボートが打ち上げられていたところまで戻った。
途中のことは、ほとんど記憶に残っていない。
歌を歌い続け、それが途切れたときには、奇妙な笑い声をあげつづけていたようだ。
ボートのところにたどりついたあとしばらくして、凄まじい嵐に見舞われたことは、なんとなく覚えている。
鳴り響く雷鳴と、母なる自然が最も猛り狂った状態のときにしか鳴らさない激しい音を、確かに聞いた。
気がついたときには、サンフランシスコにある病院にいた。
海上でボートを発見し収容してくれたアメリカ籍の船の船長が、そこまで搬送してくれたのだという。
幻覚に悩まされながら、さまざまなことを話した。
けれども、その内容に注意を払ってくれる人は、誰もいなかった。
救助してくれた船の乗組員は、太平洋上に突如出現した陸地について、何も知らなかった。
彼らが信じようとしないことについて、信じてもらえるように説得を続けるのは無駄なことのように思え、やめてしまった。
一度、高名な民族学者に面会を求め、古代ペリシテ人の伝承にある魚の神ダゴンについて、質問を投げかけたこともあった。
けれども、彼の返答が一般的なものに終始したため、それ以上の追求はあきらめるしかなかった。
夜になると、そいつは現れる。欠けはじめの月が満月と半月の中間の形のときには、特に。
モルヒネを試してみたけれども、一時的な救済しか得ることができなかった。
それどころか、クスリからも離れられなくなり、どうしようもない状態になってしまった。
だから、これで終わりにしようと思う。
すべての情報は、ここに書き残した。
あるいは、笑いものにされ、ただの手なぐさみとして読まれるのかもしれないが。
よく、自分に問いかけることがある。全部が、ただの幻覚だったのではないのか、と。
ドイツの軍艦から脱出した後、熱暑にさらされたボートの上で熱にうなされながら見た、狂気の夢なのではないのか、と。
けれども、その自問をするといつも、返事をするかのように、恐ろしく鮮明なイメージが眼前に浮かぶのだ。
そして、深い海のことを考えようとすると、かならず連想してしまうのだ。
いま、まさにこの瞬間、ぬるぬるとした海の底を這いずり回っているかもしれない名もなき生物たち。
奴らは水の染み込んだ御影石に自らの忌むべき似姿を刻み、古代から受け継がれた石の偶像を崇拝しているに違いない。
いつも、夢に見る。
奴らが水面の上に姿を現し、戦争に疲弊したみじめな人類の生存者を鉤爪で掴み、海中に引き摺りこもうとする日のことを。
陸地がすべて沈み、暗い海の底が上昇して、全世界が大混乱におちいる、その日のことを。
最期のときが迫っている。
ドアのところで音がしている。
巨大でぬるぬるとした体の持ち主が、体当たりを繰り返しているような音だ。
だが、ここまでたどりつくことはできないだろう。
ああ。
なんだ、あの手は!
窓に!
窓に!
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本作品の英語による原文は、日本国内においては、原作者の死後50年以上が経過しているため、著作権が失効しています。
また、アメリカ国内においても、著作権が更新された明らかな証拠がないため、著作権が失効しているとみなすことができる、とされています。
底本は、こちらを利用させていただきました。http://en.wikisource.org/wiki/Dagon
Twitterで「実況」する、ということを意識して、翻訳文では一文一文を意図的に短く切っています。(実際は、ここまで短く切らなくてもよかったような気がします。) なので、ほかの用途はあんまりないだろうとおもいますが、翻訳文は、いちおうCreative Commons Attribution-Noncommercial 2.1 Japan Licenseで公開させていただきます。