プランゲ文庫異聞

 午後のシフト中のことだった。
 日本語のコレクションについて質問したい、というパトロン(図書館利用者のこと)がいる、と言われてカウンターに行くと、そこには、くしゃくしゃの髪に、とがった耳の、背の高い男性が待っていた。
 彼は、ようやく春めいてきた陽光の中を歩いてきたにしては厚すぎるようにおもえる、丈の長い黒の外套を着ていた。褐色がかった肌に、彫りの深い顔立ちで、なに人なのかとっさにはわからない。
 わたしたちは、はじめ日本語で、それから日本語と英語をまじえてしばらく話をした。日本語コレクションの利用者は、当然のことながら日本語を読解できる人のことがほとんどで、その多くは会話も流暢にこなすから、これ自体はなにも不思議なことではないのだけれど、彼の話す言葉には、日本語にも英語にも、いままで耳にしたことのないような訛りとリズムがあって、ときどき、わたしは彼の質問を聞き返さなければならなかった。
「そのような資料は、当館では所蔵していません」
「すくなくとも、日本語コレクションとして把握しているタイトルの中に、そのような資料はありません」
 そのような答えを幾度、繰り返しただろう。彼は顔に浮かぶ失望と不満を隠しもせず、頭を振りながら帰っていった。
 プランゲ文庫。第二次世界大戦後の占領期に日本で発行された新聞や雑誌を網羅したこのコレクションは、GHQに勤務していたゴードン・W・プランゲ博士が、検閲のために提出され保管されていた出版物を検閲部隊から引き取り、メリーランド大学に移送したものである*1。占領期日本の研究者の間では有名な資料で、一部をマイクロフィルム化したものは、この図書館でも利用することができる。
 ただ、外套の男が投げかけてきた質問は、奇妙なものだった。
思想統制の理由によらない、特別な事情で検閲を受けた一部の出版物は、メリーランド大学ではなくミスカトニック大学に移管されたと聞いた。そのコレクションは、この図書館に収蔵されているはずだ」
 そう言いつつ、資料の所在を尋ねてきたのだ。何度も、何度も。 
 そのような話、わたしは聞いたこともない。
 首をひねりつつデスクに戻り、「もしなにか、わかったときのために」と彼が残していった名刺に目を落とす。
 "Dunwich, MA"。それが男の居所であるらしい。
 はじめて見る地名だったので、同僚に訊いてみると、内陸のほうにあるちいさな町であるとのことだった。