11月15日、土曜日。(その10)
悲鳴が漏れそうになるのを両手で自分の口に蓋をしておさえながら、私は路地の奥へと後ずさりした。
街灯が投げかける光の輪の中に、その姿ははっきりと浮かびあがっていた。
集団の、残りの数人。
彼らは二足歩行はしているものの、異様なくらいのがに股で、てらてらと輝いている禿げ上がった頭部には、鰭や鰓をおもわせる部位がついている。加えて、顔の両側に飛び出した、まばたきをしない目と、色のない、ぶ厚い上下の唇。さらには、腐った魚介類のような、胸の悪くなる臭いが、私のいるところまで漂ってくるような気がした。
私は一歩、二歩と足を引いた。
それから踵を返し、来た道を逆にたどる。
ホテルの裏木戸のところまで半分ほど戻ったあたりで、前のほうから足音がきこえてきて、私はあわてて、近くにあった横道に入り、その奥のほうに身を隠した。
追っ手に見つからずには済んだけれども、これで、私の方向感覚は完全に混乱してしまった。
そのあと、ときおり前や後ろから響いてくる足音におびえながら裏通りを歩きまわり、町の中での自分の位置がわかる場所に戻って来られたのは1時間ほど経ってからのことだった。
それほど幅のない橋のたもとに、私は立っていた。
右手の方角の、すこし離れた場所に、もう一本、やや大きめの橋がマヌセット川をまたいでかかっており、これが、昼間バスで通ってきた「合衆国通り」が渡っている橋であるらしい。
その先で、川は湾にそそいでいる。
湾のむこうには、デビルズリーフと呼ばれる岩礁が、黒々とそびえたっているはずだったが、曇りがちな夜空のもと、そのあたりは闇におおわれていて、なにも認めることができない。
と、そのとき。
空全体が輝いて、一瞬のちに、耳をつんざくような雷鳴が轟いた。
驚いている間もなく、続けてもう一度、空が光る。
白っぽい光におおわれた海上が目に入ったとき、私は言葉を失った。
影になって見えているのは、デビルズリーフ。そのふもとから、インスマスの町側の岸壁まで、水面をびっしりと埋めるように、 黒い点が浮いている。
次に雷光が夜空に輝いたとき、それらの正体がはっきりとした。
魚人どもの頭なのだ。そして、彼らは、こちらの岸にむかって、押し寄せてこようとしている。
何回めかの雷の音とともに、大粒の雨が落ちてきた。
私は姿を見られないように、姿勢を低くたもちながら、橋を一気に駆けぬけた。
向こう岸までは100メートルもないくらいだったが、渡りきるころには足がもつれ、息がつまりそうになる。
日ごろの運動不足を呪いながら、私は欄干の終端にあった飾り柱の元にへたりこんだ。
10分ほどもすると、さすがに呼吸も落ちついてきた。
私はふたたび立ち上がり、川沿いの道路を横断して、住宅街に足を踏み入れた。
灯りのすくない道を数ブロックまっすぐ進み、それから進路を西にとる。
やがて建物がまばらになって、道は、州道とのインターチェンジにつながっている自動車道と交わった。
雨がだんだんひどくなってくる。
私は、右足をひきずりながら、車は一台も通らない自動車道路の路肩を歩きつづけた。