11月15日、土曜日。(その3)

ホテルのレセプションで名前と電話で予約をしたことを伝えると、カウンター内の男は、チェックインの書類のほかにもう一枚、ペンで数文が殴り書きされているしわだらけのメモ用紙を突き出してきた。
男が一切の説明をしてくれなかったので、はじめ、それが何であるのかわからなかったのだが、読んでみると、どうやら私への伝言であるらしい。
「申し訳ないが、やむにやまれぬ事情で、今日はそちらに到着できないことになった。明日の午前中には着くことができるとおもうので、ホテルで待っていてほしい」
末尾には、私が今日、ここで待ち合わせをして会う約束をしていた人物の名前が、(まちがった綴りで)記されていた。


ベンジャミン・ベスネル。(Bethnellというのがラストネームの正しいスペルだが、メモ書きではBethenelとなっていた。)
かつてアーカムにあるミスカトニック大学で教鞭をとっていて、現在は退官している氏から手紙がとどいたのは、先週のことだった。
タイプライターで整然と打たれた書状の中身は、次のようなものだった。
「先日、私の名を騙ったおかしな手紙が、あなたの許にも送られてしまったかもしれないが、それは私とはまったく関係のないものだ。何者かが悪質ないたずらをしかけようとでもしたのだろう。そのようなことをして、何の利益があるともおもえないのだが。それによって、あなたに迷惑がかかってしまったようであったら、謝罪したい。
ところで、来週の土曜日、私はインスマスを訪問することになっている。私が長年研究していた、とある宗教組織の祭礼が日曜日におこなわれるので、久しぶりに訪れてみようとおもうのだ。インスマスアーカムは距離も近く、交通もそれほど不便ではない。もし、あなたのその日の予定がまだ埋まっていないのであれば、いままで計画だけにとどまっていた、あなたとの面会を果たすよい機会になるのではないだろうか。さらには、私が訪れるつもりでいる祭礼は、私の考えによれば、あなたが研究しようとしていることとも関係があるように見受けられる。もしかすると、あなたにとっても興味深いかもしれない」


この文面を理解するためには、すこし説明が必要かもしれない。
まず、氏が冒頭で触れている、「おかしな手紙」は、数週間前に私のところにとどいたものだ。その手紙は氏が差出人になってはいたが、非常に乱雑な筆跡で書かれており、たしかに内容も不可解なものだった。
差出人が(つまり、氏が)、「魚人ども」に監禁されそうになり、その手から逃れるためにアーカムへ行く。だから、鉄道駅までむかえにきてほしい。そのような主旨だったのだ。
私は、半信半疑ながらも、念のため、指定されていた日時に駅に行った。けれども、氏はあらわれなかった。
そのことについて、私は氏に問い合わせることはしなかったが、上で引用した手紙の文章からすると、氏のほかの友人か知人にも似たような書状が送られていたのだろう。そのうちのだれかが、氏に真偽をたしかめ、それで、この事件が氏の知るところとなったのだとおもう。
(もっとも、氏と私の間の手紙のやりとりには、なぜか不運な郵便事故がつきまとっていた。いちどは、私が間違いなく封入したはずの写真が途中でなくなり、またもういちどは、氏が私に宛てて送ったはずの、氏の研究をまとめた文章が行方不明になってしまった。)


後半で氏が書いている、私の「研究」というのは、私が在籍しているミスカトニック大学の人類学部博士課程で、博士論文研究として進めようとしている調査のことを指している。
この調査は、日本の奄美諸島にある楼家島(るいえしま)という小島に残る、伝統的な宗教習慣、宗教行事に関わるもので、そもそも、私が氏と手紙を交換するようになったのは、今年の夏、楼家島に事前研究に行ったあと、そのときに撮影した写真を氏に送り、見解を訊ねてみてはどうか、と、私の指導教官が薦めてくれたことに端を発していた。
(ちなみに、私は鹿児島市内の出身だが、父方の家系は曾々祖父の代までこの楼家島に住んでいた。)
なんどか通信を重ねているうちに、いちど直接会って研究の話を、ということにはなったものの、氏が現在は遠隔の地に住んでいることと、私の仕事や授業の予定がなかなか空かなかったために、実現には至っていなかったのだ。
また、氏には持病もあるらしく、そのために私が遠慮したというのも理由のひとつだった。はじめのころ、氏からくる手紙は非常に流麗な筆記体と、見事な修辞法でしたためられていたのだが、2ヶ月ほど前に発作にみまわれてからは、タイプライターで書かれた、やや断片的な文章が多くなっていた。


ともかく、氏のその提案をうけいれて、私は今日、インスマスまでやってきたのだった。
(もともとは自分の車で来る予定だったのが、その車を修理に出さなくてはならなくなったため、出発直前でバスに変更した、という小事件もあったのだが、それは余談になるのでここでは触れないでおく。)
氏が今日中には来られない、ということになったので、私は急に手持ちぶさたになってしまった。



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