手紙 その5

私が楼家島で撮影した写真がきっかけで手紙をやりとりするようになった、ミスカトニック大学の元教授。8月のはじめころ、すこしだけやりとりが途絶えたのですが、その後、二度ほど封書がとどきました。


8月半ばにとどいた一通めは、いままで私たちのあいだのやりとりが何者かに途中で妨害されているのでは、と疑っていたけれども、それはどうやらおもいすごしだったらしい、という内容。(このときから、差し出し元の住所が、最初の、自宅とおぼしき場所に戻っていた)。


二通めがとどいたのは、9月に入ってからのこと。私が書き送った研究内容が非常に興味深いもので、自分の手許にある文献などを参考にしながらくわしい話を聞きたいから、いちど自宅まで来てもらうことはできないだろうか、と書かれていた。


これらより以前に受けとった手紙は、すべて、独特の雰囲気のある、流麗な筆記体と詩的な言いまわしでしたためられていたのだけれども、この二通の中身は、タイプライターで打ったとおもわれる機械的な文章だった。持病の発作にみまわれて、手が震えて字が書けない状態にあるのだという。(両方の手紙に、そう説明があった)。ただ、会話には支障がないので、私の都合がいいときに、いつでも来てくれてかまわない、とも書いてあった。


行ってみたい、とはおもうけど、ひとりで行くのはちょっと不安。(その元教授にひとりで会うのが不安、というわけではなくて、単純に、遠いのと、車で行かないといけない場所っぽいので、ひとり旅はしたくないのです)。でも、ニシちゃんは忙しそうだしなあ。