ボストン探索―ピックマンのモデルのモデル

There was a study called "Subway Accident", in which a flock of the vile things were clambering up from some unknown catacomb through a crack in the floor of the Boylston Street subway and attacking a crowd of people on the platform.


中に『地下鉄事故』と題した一枚の習作があったのだが、そこに描かれていたのは、醜怪なるものたちの群れがトンネルの底に口を開けた割れ目を這い登って、いずこにあるとも知れぬ地下墓地から地下鉄ボイルストン・ストリート線の線路上に姿を現し、プラットフォームに居並ぶ人々を襲撃している様子であった。


― H.P.Lovecraft Pickman's Model *1


H.P.ラブクラフトの作品"Pickman's Model" (邦題『ピックマンのモデル』) はボストンを舞台にした短編です。物語の中心となる人物リチャード・アプトン・ピックマンは画家なのですが、あまりにも醜悪で不気味な示唆に富む光景ばかりを「写生」しつづけたために友人たちから絶縁され、ついには失踪してしまいます。


上で引用した一節も、ピックマンの作品のひとつを描写したもの。ここに出てくる「醜怪なるものたち」("the vile things") は、地底に棲み人肉を喰らうという食屍鬼 (グール)。犬のような顔をして前のめりに歩行する、クトゥルフ神話RPGなどでもおなじみのザコ敵怪物です。


ボストンは全米の都市の中でも比較的早くに電化された路面電車、地下鉄が整備されました。ピックマンが食屍鬼による襲撃を描いた「ボイルストン・ストリート線」はグリーン・ラインと名を変え、現在も運行されています。


こちらがそのグリーン・ラインの、その名もボイルストン駅。駅名板の下に掲げられているのは1911年ごろの付近の様子だそうです。


うしろに写っているのは、保存展示されている、地下鉄開業当時に走っていたとおもわれる (掲示されていた説明では厳密な納入時期がわかりませんでした) 車両。Type 5 Semiconvertibleという型式だそうです。ラブクラフトやピックマンが目にしたのも、おなじ型の車両だったかもしれないですね。


Type 5は路面電車とも共通の車体だったようですが、グリーン・ラインは、いまもこのような、路面電車ぽい風貌の車両で運行されています。(行き先によっては地上も走ります。ボストンの他の地下鉄線はふつうの電車型の車両です。) ちなみに現在使用されている車体は近畿車両によって製造されたもの。車内に"Kinki Sharyo"と書かれた銘板があります。



さて、上述のリチャード・ピックマンは、ボストンのノースエンド地区に秘密のアトリエをかまえていました。

The North End, the region of Boston facing Boston Harbor and the Charles River, is the oldest part of the city; it was the focus of city life in colonial times. In HPL's day parts of it - especially around the waterfront - had declined to a slum, largely inhabited by Italian immigrants.


ノースエンドはボストン・ハーバーとチャールズ川に面した一角であり、ボストンの中で最も長い歴史を持つ。独立以前の時代には、ボストンの市民生活の中心地であった。H.P.ラブクラフトが生きた時代には一部分、特に港湾部に近い部分はスラム化し、主にイタリアからの移民が住む地区となっていた。


― S.T. Joshi, Explanatory Notes to Pickman's Model by H.P. Lovecraft*2


こちらが現在のノースエンド。いまもリトル・イタリーと呼ばれていますが、美味しい/おしゃれなイタリアン・レストランやカフェが軒を並べる歓楽街となっており、スラムの面影はありません。(余談ではありますがダウンタウンとノースエンドのあいだを横切っていた高架高速道路が数年前に地下化・撤去され、より開放感があり安全になった、とかつてボストンに住んでいた友人が言っていました。)



North End Galleryなる画廊。ピックマン氏の作品が売りに出されていたり……はしないか。


Old North Churchの尖塔をのぞむ。アメリカ独立革命の契機となったレキシントン・コンコードの戦いの前夜、イギリス軍の動向をいちはやく察知したポール・リビアがこの塔の上に合図の灯火をかかげさせ、独立派軍の勝利をみちびいたことで有名です。左側に見えている柵はCopp's Hill Burying Ground (コップス・ヒル墓地) のもの。この地下にも食屍鬼が巣食っているとかいないとか。


……そして、わたしたちにそんなことを語ってくれた男は、ノースエンドの路地の奥に消えていったのでした。




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*1:出典: H.P. Lovecraft, "Pickman's Model" in H. P. Lovecraft, (ed. by S. T. Joshi), The Thing on the Doorstep and Other Weird Stories. Penguin Books, 2001: p.85. 翻訳文は筆者による

*2:出典: H. P. Lovecraft, (ed. by S. T. Joshi), The Thing on the Doorstep and Other Weird Stories. Penguin Books, 2001: p.384 (Note 5). 翻訳文は筆者による