『ネクロノミコン』翻訳序説

 『ネクロノミコン』の有名な2行連句、邪神クトゥルーの実在と生存を示唆しているといわれる一節の英語訳には、いくつかのバリエーションがあるようです。(参照)
 それらの間に見受けられる微妙な差異に、わたしはここしばらく頭を悩ませていました。
 そして、比較的信頼のおける複数の翻訳のうち、どれが「正しい」ものかを確かめるため、在籍中の大学の図書館に収蔵されている『ネクロノミコン』を参照したいと願っていたのです。


 もちろん、『ネクロノミコン』は、はじめから英語で著された本ではありません。
 アラブ人アブドゥル・アルハズレッド (アルハザード) によってアラビア語で書かれた『アル・アジフ』を原典とし、ギリシャ語訳、ラテン語訳を経て英語に翻訳されたものです。(文明史的に考察すると中国語訳も存在するとおもわれますが、その版はおそらく現在アクセス可能な英語訳版の系譜にはつながっていない。)
 それだけ翻訳が繰り返された書なのだから、中の表記に多少の異同があったとしても、何らおかしいことではない、と考えるひともいるでしょう。
 同様に数多くの翻訳を経てきた『聖書』に様々な版があり、様々な解釈が可能であることは、つとによく知られています。
 ただ、キリスト教の教典である『聖書』と『ネクロノミコン』の間には、おおきな違いがひとつあるのです。
 『ネクロノミコン』は、そのあまりにも過激で冒涜的な内容のため (あるいは、ある種の研究者の主張によれば、あまりに世界の真実に迫りすぎているため)、すべての時代において、禁断の書物とみなされてきました。
 太陽の光を避けたところでのみ流通し、秘密の書庫にのみ保管され、地下に潜伏した会合の場でのみ音読された。
 そのような本だったから、いくつもの翻訳版が作成されたとは考えにくいのです。
 せいぜいが、ひとつの言語につき一度の翻訳がおこなわれ、数冊の写本が作られた程度であっただろう、と想像できます。
 版によっては1000ページを超える長い書物なので、筆写したときに書き間違いが混入した可能性は残ります。
 でも、底本とした文章の解釈の違いによって数種類の異なる翻訳文がつくられたとはおもえないのです。(翻訳が一度しかおこなわれなかったのだとしたら、たとえその翻訳者の解釈が誤りだったとしても、翻訳文は一種しか生まれないことになる。)
 ラテン語訳以前の版であるアラビア語版、ギリシャ語版は、失われて久しいと伝えられています。
 ですが、ラテン語版は、ここミスカトニック大学の図書館をはじめとして、世界に数冊現存しています。
 ラテン語版の時点で文意があいまいなフレーズであったのか (つまり、その文章の解釈の相違が原因で異なる英訳文ができたのか)、あるいは、英訳がおこなわれた後に、誤記や意図的な改変によって異なる英訳文が派生したのか (16世紀の魔術師ジョン・ディーが翻訳したとされる英語版は、原典が散逸してしまっており、不完全な写本をつなぎあわせた形で現存しているのみです)。
 それを知ることができれば、わたしの研究は一歩前進するだろう。
 そう考えたのでした。


 そして昨日。
 わたしは長いこと図書館で働いている友人に頼みこみ、大学図書館の禁書書庫を利用できるよう、とりはからってもらいました。
 得られた時間は短いものでしたけれども、それでも、おおいに助けになります。
 ほんとうに必要な箇所だけを参照するように。
 彼女にはそう警告されましたが、黒ずんでざらざらとした革で装丁された、ずしりとした本を開いたわたしは、複数ページにまたがる段落に目を奪われてしまいました。
 なにかに導かれたかのように。


「人類は、地上を最初に統べたものでも、最後まで統治するものでもない。また、地球上に生きているのは、我々が知っている生物だけではない」
 段落は、そうはじまっていました。
「この世界を支配するのは、古きものたちである。過去においても、現在においても、未来においても。我々が知っている空間ではなく、それらの中間に存在する場所に彼らは存在している。やんごとなき、原初の、形をもたない姿で。そして、我々には見ることのできない姿で。ヨグ=ソトースは門を知っている。ヨグ=ソトースは門である。ヨグ=ソトースは門の鍵であり守護者である。過去、現在、未来はヨグ=ソトースでひとつになる。ヨグ=ソトースは古きものたちが、かつて、いかようにしてこの世に姿を現したのかを知っている。どのようにしたら彼らがふたたびこの世に出現できるのかを知っている。ヨグ=ソトースは古きものたちが地上のどこに現れたのかを知っている。現在、地上のどこに残ったままでいるのかを知っている。彼らが歩き回っても常人の目にふれることがない理由を知っている。人間は、古きものの存在を匂いで感知することができる。だが、外見を知ることはできない。古きものたちから人間に遺伝した形質を除いては。それには様々な種類が存在する。人間の外見に酷似したものから、見た目のない、物質をもたない、古きものたちの性質に酷似したものまで。彼らは言の葉が紡がれ、儀式の歌が季節ごとに歌われる隔絶された地で、姿を見られることなく、醜く生きている。風は彼らの言葉を話し、大地は彼らの意識を囁く。彼らは森を歪め、町を押し潰す。ただしその手が我々に見えることはない。冷たい廃墟と化したカダスの町は古きものたちを知っていた。だが、我々の中でカダスを知っているものがいるだろうか。南の氷の砂漠と大海に沈んだ島々には古きものたちの痕跡が刻まれている。だが、それらの固く凍りついた都市や海草に埋もれた封じられた塔を見たことのあるものはいるだろうか。偉大なるクトゥルーは古きものたちの血族。だが、彼らの姿をほんのかすかに見ることしかできない。いあ、しゅぶ=にぐらあ。汝は古きものたちを邪悪として知るであろう。古きものたちの手は汝らの喉に迫っている。だが汝らは、彼らを見ることすらできない。そして彼らは、汝らが固く守ろうとする家々のすぐ近くにも潜んでいる。ヨグ=ソトースは門の鍵。時空のめぐり会う場所への。人類はいま地上を支配している。かつて古きものたちが支配した地を。いずれ彼らが支配することになる地を。夏が過ぎれば冬が、冬が過ぎれば夏が訪れる。古きものたちは力を持ったまま、静かにそのときを待っている。彼らが支配者となる日が訪れる……」*1


 図書館から自宅まで、どのようにして帰り着いたのかは覚えていません。
 みるものすべてが茫洋として、なにもかもが別の空間で起こっていることのようにおもえる。
 自分自身の体でさえも、まるで自分のものではないかのような……。


 いあ。
 ヨグ=ソトースよ。しゅぶ=にぐらあよ。


 いあいあ。
 いあ! しゅぶ=にぐらあ。

*1:H.P. Lovecraft "The Dunwich Horror," in The Thing on the Doorstep and Other Weird Stories, Penguin Books 2001: pp. 219-220. 翻訳文は筆者による。