あたらしい朝

 カメラだけ持って熱帯の密林にでも行ってしまいたい。


 年末進行の仕事に追われるなか、毎日のようにそう口走っていた隣席の同僚が、ある日を境にぱったりと出勤してこなくなってしまった。
 本当に旅に出てしまったのではないか、と皆で噂していたのだが、週明け、オフィスに行くと、彼女の姿があった。
 忙しく動きまわっている周囲をよそに、なにやら幸福そうな顔をして、一日中、自席に座ったままでいる。
 悟りでもひらいてきたのだろうか、ともおもわせるような落ちつきぶりで、ほかの同僚の話によると、本人も、自分のちっぽけさがわかった、などと言っていたらしい。


 すこし暇な時間ができたので話しかけてみると、実際に南米の奥地に撮影旅行に行っていたのだという。
 写真を現像したら見せてくれる、というので楽しみにしていたら、さっそく翌日、100枚以上はあるだろう印画紙の束を渡された。
 目をとおしていくと、極彩色の蝶や、見たこともないような甲虫のたぐいが、彼女の巧みなカメラワークによって背景の濃い緑から切り取られた、美しい写真がならんでおり、私は素直に心を打たれた。
 けれども、半分を過ぎたあたりから、被写体の雰囲気が一変した。
 マクロレンズを大胆に使った構図のとりかたなどは変わらないのだが、そういったテクニックを駆使して写されているのが、明らかに眼球とおもわれるものが先にみっしりとついている枝であったり、ぬめぬめとした光沢をもち、吸盤のようなものが幹の途中にある樹木であったり、動物の脳にちいさな透明の羽根と蚊の口吻がついたような昆虫 (?) であったりするのである。
 訊いてみると、撮影に夢中になっているうちに、そのような動植物が棲息している一帯に入ってしまっていたのだ、と彼女は教えてくれた。


 そうそう、お土産もあるのだけれど、と言って、彼女はジップロックのビニール袋を鞄から出し、私の手に載せた。
 奇妙な写真を撮影したあたりに生えていた木の果実で、見た目は悪いけれども、食べてみたら甘くてとてもおいしかったので、お土産にしようとおもってたくさん採ってきたのだ、という。
 それにしても、これを木の実と言ってもいいものなのであろうか。
 ひとつひとつは、うねくった形状の、小指くらいの太さのある黒褐色の物体で、全体にびっしりと剛毛らしきものが生えている。それらが袋の中で何本もからまりあって、にぎりこぶしくらいの大きさの塊を成しているのだ。
 加えて、てのひらの上で、それがもぞもぞと動いたような感触があったとおもったのは、私の気のせいだろうか。


 どうやら彼女は、同じお土産を職場の皆にも配ったらしい。
 数日すると、彼女の席に、あれ、食べたよ、意外とうまいもんだね、とか、ちょう、おいしかったですー、とか、そのようなことを言いに寄る人があらわれた。
 君も食べた? うまいよねえ。と、隣に座っている私にまで話しかけてくることもあって、気持ち悪いから手もつけていない、と正直に答えるのはさすがに気まずいので、食べましたよ、おいしいですよねえ、などと適当に話を合わせておく。
 そうこうしているうちに、オフィスの中で、一日中席についたままの人が増えてきているような気が、私にはしてきた。
 家族にも好評だったよ、もっとないの? と彼女に言っていたグループ長。いちど食べはじめると止まらないっすね、と言っていたバイト君。
 そして、私のおもいすごしだろうか。
 彼らの顔が、隣席の彼女が最近常にみせている、現世を超越したような、幸せそうな表情にそっくりになってきている気がするのは。


 木曜日、金曜日、いちがついっぴ付で異動になった同期の送別会に、フロアの忘年会と飲み会がつづき、へろへろになって、ひとり暮らしのアパートに帰宅する。
 お茶ぐらいは飲もう、と台所に行くと、流し台の横に例の土産物が袋に入ったまま置きっぱなしになっているのに気がついた。
 皆があれだけおいしいと言っているのなら、と、手を伸ばしかけたけれども、結局、見た目から抱いてしまった嫌悪感を振りきることができず、やめることにした。
 私が昔から大の苦手にしている、ムカデや毛虫の類に似すぎているのがいけないのだとおもう。


 その晩、私は夢を見た。
 はじめのほうは、寝ている私の口や鼻や耳に、いがいがした棘をもったなにかが入りこんでくる、なにやら不快な夢だったのだけれども、だんだんと頭の中がほんわりしてきたかとおもうと、私は密林の地面の下や、深い深い海の底、幾何学的にはありえない構造をした建造物のある都市や、奇妙な形状をした鍾乳石におおわれた暗い洞穴を次々と巡っているのだった。行く先々で私は、姿は見えないけれども、そこに存在していることが確信できる、大きな意識体とふれあっていた。
 それから私は、地表をはなれ、宇宙空間に連れていかれた。視界の中で、地球がどんどんちいさくなっていく。そして私は、それまでに遭遇していたものよりもさらに大きい、意思の塊に出会った。


 私は、なんてちっぽけなのだろう。
 そうおもったとき、目が覚めた。朝の7時ぴったりだった。
 いつもの土曜日だったら、寝ても寝ても疲れがとれない感じで、午後までずるずると寝つづけてしまうことが多いし、ましてや2日連続で飲み会があったあと、頭痛か吐き気でとても午前中には起きられないだろうと予想していたのだが、今朝は不思議と眠気が消え、すっきりした気分だ。宿酔いにもなっていない。
 カーテンを開ける。外はいい天気で、明るい陽光が、さっと部屋の中に流れ込んでくる。
 起き上がって、シャワーを浴びに行った。頭も体も、とても軽く感じられる。
 こんなにさわやかな目覚めを経験したのは、いつ以来のことだろう。
 ひさしぶりに朝から家でコーヒーを飲もう、とおもいつき、私は台所にむかう。
 コーヒーがしまってある棚を開けようとしたとき、床になにかが落ちているのに気がついた。
 拾い上げてみると、それは、ちいさな穴が無数に空いてぼろぼろになった、ジップロックのビニール袋だった。
 しばらく考えてみたけれど、それがなにであったのか、なぜそこにあるのか、おもいだすことができない。まあ、どうでもいいことだ。私は袋を手でまるめ、ごみ箱に投げ入れた。
 それにしても、気持ちのいい朝だ。

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この話は、id:COCO様が書いておられる、「異形の群れ」というシリーズに影響を受けておもいつきました。本家のウィットあふれる文章・アイデアにはほど遠いのですけれども。それに、本家「異形の群れ」は、絵と文が一体となっているところがミソなんだとおもうのですが、私の画力では、この文に絵をつけることはできなかった……。


あと、冒頭の一文(と、話そのものの発想のもと)も、おなじid:COCO様の、この日の日記の最後の一文だったりします。勝手に使ってしまって申しわけありません。(NGな領域に入ってしまっているようでしたら、削除/改変させていただきますので、ご指摘ください。)



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