手紙

火曜日の夜、指導教官からメールで呼び出しがくる。水曜日、何時でもいいからオフィスまで来るように、とのこと。めったにない(たぶん、いままで一度もなかった)ことなので、なんだろうとおもいつつ(怒られるんだろうか、という不安も半分)、行ってみると、一通の手紙を渡された。


先週、指導教官に会ったとき、楼家島での事前調査の報告とともに、島で撮った写真も彼に見せた。その中に、興味をひくものが何枚かあったようで、以前ミスカトニック大学で教鞭をとっていて、いまは退官している教授に連絡をとってみる、と言われていたのだ。その日のうちに電話をかけたところ、返事に書状がとどいた、ということらしい。


いまどき、郵便で手紙を送ってくるとはめずらしい、とおもったが、差出人の住所を見て納得した。たぶん、ブロードバンドなどというものがとどいてもいない、農場か森林の真ん中にぽつんと建った一軒家に住んでいるのだろう。(アメリカは科学技術先進国ではあるけれど、国土が広大すぎるので、ほかの、もっとぎっしり詰まった国々にくらべると、インフラストラクチャーの整備が行きわたっていない場所がとても多い)。不便かもしれないが、引退した大学教授、という人種の中には、そういう生活を望む人がいてもおかしくはない。


手紙は非常に達筆な筆記体で書かれていて、解読するのに難儀したけれども、どうやら、写真を送ってほしい、というのが主旨であるようだった。私が撮影した楼家島の祭祀施設や祭具の写真に、彼がいまも研究を続けているとある文様と似たものが写っているかもしれない、と、私の指導教官が言っていた、というのだ。


とりあえず、いまはどんな手がかりでもほしいので、返事をすることにした。手書きの書状で来たので、返信も同様にするべきだろう、とおもって書きはじめたのだが、これが意外と大変だった。日本語もそうだけれど、英語も手書きで長文を書くことなど、最近ほとんどしていなかったので、スペルはいちいち確認しないと不安になるし(PCだとスペルチェックに頼りきりだから)、書き損じは何度もするし。苦労して書き上げたものを、さらに清書していたら、一日が終わってしまった。


焼き増しに出していた写真のほうが、今日あがってきたので、一緒に封筒に入れて、さっき投函してきた。自分の研究にも役立つ展開になるといいのだけれど。


(関連:窓に! 窓に!)