窓に! 窓に!

何者かに追われていることに、私は気がついていた。


天文館のアーケードの雑踏の中。実家近くの商店街。最寄りのバス停から実家に帰る途中の、石垣のあいだの細い道。ふと視線を感じてふりかえると、そこに実体のあるものはなにもない。けれども、誰かが、あるいは何かが存在していた気配だけが、電柱の裏、八百屋の軒下、石垣の上の植え込みが落としている濃い影の中に、くっきりと残っているのだ。


理由は、なんとなく推察がついている。数日前に、現像からあがってきた写真。そのうちの何枚かは、楼家島に滞在中、とある拝所で撮影したものだった。


岬の根元、巨大な岩がいくつも積み重なったようになっているところを背に、ちいさな社が一軒建っている。島の住民に、田子ん様(たごんさま)と呼ばれ、崇められている神を祀った社で、いちおうは朱塗りの鳥居に赤い屋根の本殿、神道式の体裁をとってはいるが、実際に祭祀の場となっているのは、その本殿の奥、巨石の下、深く潜った場所にある拝所。おそらくはこの島に本土の神道が伝播する以前からそうしてあった場所だ。


ほんとうは写真撮影などさせてはいけないのだけれども、学問のためだというなら、特別に。はじめ私が肩からカメラを提げていることを見とがめた、社を管理している老人は、私が来訪の目的を告げると、強い島の訛りのある言葉でそう言って、拝所へとつながる道を示してくれた。道は巨岩のあいだをくぐり抜け、最後には、地面に口を開けた暗闇の中につながっている。洞窟内に入ると、しばらくは真っ暗な下り坂。田子ん様は光を嫌うと言われており、実際に田子ん様を呼び出しておこなうとされる祭礼は、新月の夜、完全な闇の中で執行される。だから、懐中電灯などはもとより、フラッシュも使ってはいけないと念を押されていて、結局、許可を得たとことで、まともな写真など撮れそうにもない。けれども、足下が平らになって、そのあとしばらく壁を伝って進んでいった先は、これまでの通路よりもかすかに明るい部屋だった。


部屋といっても、おそらく天然の洞窟の一部。広さは十畳敷ほどで、見上げると高い高い天井部分にちいさな隙間があって、そこから昼の陽光が、ほんのわずか入りこんできているのだ。(おそらく、このせいで祭礼をおこなえるのは新月の夜に限るとされているのだろう。)どこか、光の届かないあたりから、水の打ち寄せるような音が聞こえるところからすると、海にもつながっているらしい。拝所というからには、祭壇か祭祀の道具類が設置してあるものと勝手におもっていたが、目に見える範囲に、そういったものはない。がっかりしたけれども、せっかく写真撮影を許してもらった上に、弱々しいが光源もある。何もしないのももったいないので、私は一眼レフのほうのカメラを三脚にセットして、バルブ撮影に使うアタッチメントをとりつけた。シャッターをしばらく開放したままにして長時間露光をおこなうことによって、低光量の場所での撮影もあるていど可能になる。夜景などを撮る場合、そうしておくことで、肉眼では見ることができないほど暗い場所にあるものが写りこんだりすることもあるのだ。私は角度を変えながら、何枚か写真を撮った。フィルム式のカメラなので、その場で写真のでき具合を確かめることはできない。長時間露光の撮影も、やるのは5年ぶりくらいのことだから、仕上がりには期待しないことにして、私は鹿児島に帰ったあと、フィルムを現像に出したのだった。


受け取った写真の一枚を目にしたとき、私は背筋に戦慄が走るのを感じた。何かが、写っている。岩肌にある凹凸。それが、天井から忍びこんだかすかな陽光と、洞窟内の地面から反射した、弱い弱い光を吸い込んで、肉眼で見るよりもはっきりと、そこに現れていたのだ。洞窟の壁面にほどこされたレリーフ。それは、そのように見えた。


その形を述べることを、私はここですることができない。人間の言葉でどんなに筆舌を尽くしても、表現しきることができないほど、異形のものであった、とだけ言っておこう。そして、それを見てしまったせいで、私は正体の知れない何者かに、追われる身となった。


ここ数日、私は外出もせずに、自室に引きこもっている。いつ何時、あの気配が家の中に現れるかわからない。両親には身体の具合が悪いと言った。いまのところ、信じてもらえているようだ。


ふと、これまで差しこんでいた光が陰ったような気がして、私は窓に目をやった。そして私は言葉を失う。ここは二階のはずなのに......。

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フィクションですよ。たしかに、最近引きこもりがちではあったけど。



注:このダイアリー内の記述は基本的にフィクションです。マサチューセッツ州アーカムミスカトニック大学は、H.P.ラブクラフト(および他の作家)による、一般に「クトゥルー神話(クトゥルフ神話)」系と呼ばれている小説などに登場する架空の土地、大学であり、実在しません。詳しくはこちらをお読みください。クトゥルー神話系のネタは、主に[学校生活]、[アーカム案内]カテゴリにあります。ほかに、Innsmouth行ってきました夢の話Innsmouth再訪あたりもそうです。あ、あと、ホラーっぽいネタは、[空想、妄想、創作]カテゴリにも。

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