Farm House

アーカムは、ミスカトニック大学という高等教育機関がその文化的、経済的中心になっているせいもあるのだろう、規模と立地とは対照的に、現代的で近郊都市的な雰囲気を持っていたが、町を取り囲んでいる土地は、さほど洗練されているとは言い難いのだった。人間の手がまだ一度も入ったことのないような林や丘陵と、それらに包まれた、なかば放棄されたかに思える農地の数々は、むしろ「現代」「近郊都市」といった言葉とは正反対のイメージを見るものにあたえる。5月のはじめのある夜、私たちが迷い込んだのも、そのような場所のひとつであった。


私たちは、とある教授の家で開かれたパーティから、アーカムにあるそれぞれの家に帰るところだった。その教授の家は、町から車で30分ほどのところに、廃業した農家の土地を購入して建てたというもので、持ち主は、毎日の通勤の多少の不便さと引き換えに、ハイキングさえできそうな広大な裏庭と、一年間どの季節でも居ながらにして日の出と日の入りを眺めることができるリビングルームを得ることができた、と、ご満悦の様子だった。


ともあれ、私たちは、車を二台連ねて、そこから帰宅する途中であったのだ。私は後ろの車の運転手をしており、助手席には私のルームメイトが座っていた。前の車には、私の同期がひとりと、学部の先輩がひとり、それに、彼女のボーイフレンドが乗っていた。そもそも、このように帰ることになったのは、私がアーカムまでの道のりを正確に覚えている自信がない、と言ったことに端を発していて、だから、私は前の車に着いて行くことだけに集中していた。もっとも、ほかの車はまったくと言っていいほど通らない道だったので、それほど注意を払わなくても、置いていかれる心配はなかったのだが。


けれども、どうやら、先導していた車が、アイルスベリー・パイクに入ったあと、まちがった交差点で曲がってしまったらしい。私たちは、うっそうとした森と、小高い丘に囲まれた場所で、『この先私有地につき立ち入り禁止』と書かれたゲートに行く先をはばまれてしまった。道はかろうじて車がすれ違えるほどの広さに狭まっていたが、ゲートの手前の路肩は、そこだけ木が切り開かれて、整地されているように見えた。私たちは、そのスペースを利用して、自分たちの車を転回させることにした。


最初の事件は、そのときに起こった。
(書いていたら、おもったよりも長くなってしまったので、先を読まれる方は、下の「続きを読む」をクリックしてください。)
ゲート前の路肩の、きれいに手入れされた下生えのその下の地面は、前日に降った雨のせいで、泥濘と化していたのだ。はじめに転回を試みた、前を行っていたほうの車が、そこに乗り入れ、右側の二輪をとられてしまった。車体の重いSUVだったことも災いしたのだろう。運転手がアクセルをふかしても、ゆるくなった地面がえぐられるだけで、事態は悪くなる一方だった。私たちは、それぞれの車から降りて、動けなくなった車のまわりに集まった。しかし、妙案が生まれるわけでもなかった。人の力で車を押し出す、ということに関しては、特に身体を鍛えているわけではない大学院生が5人、しかも、その中で男手はひとつだけ、という人員の組み合わせは、あまり好ましいものではない。もう一台の車で牽引することもできなくはなさそうだったけれども、その場合、車の重量差が問題になる。私の車は、いわゆるサブコンパクトという種類に入る、アメリカのメーカーが日本車の人気車種をコピーして売り出したような車で、搭載しているエンジンも非力なものだった。さらには、牽引に必要なロープに類するものも、どちらの車にも準備されていなかった。最後の手段は携帯電話で救援を呼ぶことだったが、その可能性も断たれてしまった。その場にいる全員が持っていた4台の電話のうちのいずれも、電波を受信していなかったのである。アーカムからはそれほど離れていないはずだったが、人口がほとんどないことと、起伏の多い土地のせいで、この地域の携帯電話カバー率は非常に低い。その事実を学ぶよい機会にはなったが、なにかを学習するには最悪の状況であることも確かだった。


私は周囲を見回してみた。空は半分ほど雲に覆われていたが、障害が何もない部分では、月と星が輝いている。それらは、町の光で溢れているアーカムの空にあるときにくらべて、ずいぶんと明るいように思えた。そして、その明かりの中、周りを囲んでいる丘陵の頂上には、ちいさな、けれども人工物らしい、角張った影がいくつも存在しているのが見てとれた。


ネイティブ・アメリカンの遺跡だって言われてる」私の視線の方向を読んだのか、尋ねる間もなくルームメイトが答えてくれた。「このあたりには多いらしいよ」


「光が見える」
そう言ったのは、ベンだった。前の車に乗っていた、学部の先輩のボーイフレンドである。彼が指し示す方向に目を向けてみると、実際に、風でざわめく木々の枝の向こうに、ちいさな光がひとつちらついているようだ。そして、その場所は、ゲートがさえぎっている道を、さらに進んでいったあたりに該当するようだった。「この先私有地、ってことは、家がある可能性もあるね」


ゲートは施錠されていたので、私たちは車を置いて、徒歩でその灯火のもとへ向かうことにした。残って車を見張っている必要はなさそうだし、万一何かがあった場合に、少人数で残っているほうが危険かもしれない、という判断で、全員が行動をひとつにすることになった。私の車の中にあったちいさな懐中電灯の明かりひとつを頼りに、私たちはゲートの低くなっている箇所を見つけ、乗り越えた。そのときに、門扉に提げられている看板の、立ち入りを禁止する語句の下に、こう書かれてあることに私は気がついた。『この土地は、ダニッチ土地管理(有)によって管理されています』


その先の道路は、登り坂になり、さらに細くなっていった。10分ほども歩いただろうか、不意に路肩まで迫っている森が開け、目の前に夜空が広がった。そして、その中心、坂の頂上にあたる場所に、家が一軒、暗いシルエットとなって浮かび上がった。ベンが見つけた光は、その家の右脇に寄り添うようにして建てられた車庫か倉庫のような建物の、戸口の上で輝いている常夜灯のものであるらしかった。母屋は、このあたりの農場所有者の家らしく、横長で、二階建てだった。正面の中央に幅の広いポーチがあり、その屋根を支えている太い円柱形の柱の奥側の一対が一階、二階をともに貫いて、建物の屋根まで達している。左右には、どちらの階層にも対象をなして縦長の窓が並んでいた。


私たちは、ポーチの前まで来て足を止めた。母屋の中に光は見えなかったけれども、それは、人が住んでいないことを意味しているのではなく、時間が遅いためである可能性もある。全員が、ポーチと、その先にある、把手の部分に大仰な金具がついた観音開きの玄関扉へ続く階段を登ろうとしたとき、ベンが、彼のガールフレンドーー私の学部の先輩でもあるーーのレイチェルと、私を手で押しとどめた。「まず、僕とジェシカで行ってみるよ」レイチェルは、わずかの間その発言の意図を考えているようだったが、やがて納得したのか、うなずいた。「リズも残っていてね。念のため」彼女は、私のルームメイトにそう言った。「このあたりは、その、『古いマサチューセッツ』だから。古くさい考えの人が住んでいることもあるうるから」彼女の言わんとしていることは、理解できた。『よそ者』に対して、必要以上に警戒心を持ってしまう住人である可能性があるのだ。特に、その『よそ者』が、『見慣れない顔』をしている場合には、なおさら。


玄関扉のところまでたどりついたベンが、ドアを指2本で軽く叩いた。しばらく待つ。返事はない。彼は、今度は拳の部分全体を使って、強めにノックをした。やはり、返事はなかった。建物を見渡してみても、動きがあったような様子もない。私たちがそうしている間に、ベンはドアの把手を試していたらしい。そして、鍵はかかっていなかった。彼が把手を押すと、重そうな軋みを伴って、扉は開いた。


「すごいな、これは。来てみろよ」ベンの呼びかけに、レイチェルとリズと私は、顔を見合わせながらポーチの階段を上がった。ベンとジェシカは、すでに建物内にいた。彼らが開け放ったままにしていた玄関扉から中に入る。まず目に飛び込んできたのは、高い天井から吊り下げられている、巨大なシャンデリアだった。ベンがそこに懐中電灯の光を差し向けており、大量の金とカットグラスが、それを反射してきらきらと瞬いている。次にベンは、奥にある階段に光を向けた。映画に出てくる豪邸にあるような、幅の広い階段だった。しかし、そこに敷き詰められている絨毯は色褪せ、その上には、何年、いや、何十年分かもしれない量の埃が積み重なっていた。どうやら、この建物の住人は、さほど近くない昔にこの土地を去ったようであった。


ベンがほかの場所を懐中電灯で照らし、何か言おうとした、そのときだった。私たちの背後で、バタン、という大きな音を立てて、ドアが閉まった。リズかジェシカが、短い悲鳴を上げた。そのあとは、沈黙が場を支配した。おそらく、同じような考えが、全員の頭の中に去来していただろう。確かに、ドアを止めておくことは、誰もしなかった。けれども、建物の外にも中にも、ドアを動かすほどの強い風は吹いていなかったはずだ。私たちは、恐る恐る、振り返った......。