ビブリオファイルは電子書籍の夢を見るか

昨日の『今日の早川さん』の更新 (「存在の耐えられない軽さ」) を読んでいたら、こんな未来がおもい浮かびました。(絵にしたら1コマで表現できるネタのような気もするのですが、描けなかったので中途半端な文章ネタです。)


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 インターホンのボタンを押すと、すぐに中からドアが開いて、姉が顔を出した。
 大学生のころはショートカットにしていた髪を、いまはまた伸ばそうとしているらしい。といっても、高校時代のような二本お下げにするつもりは、もうなさそうだけれど。
 その髪型と、社会人になってからかけるようになったという濃い赤色のセルフレームの眼鏡のせいか、見慣れたはずの姉の顔が一瞬別人のもののようにおもえて、僕はどきりとした。職場から帰宅して間もないということで、以前はあまりしていなかった目のまわりや頬のあたりの化粧をまとったままだったから、というのもあるかもしれない。
「お邪魔します」
 玄関で靴を脱ぎながら僕はそう口にして、姉に、なんだかよそよそしいね、と笑われる。
「駅からは迷わないで来られた?」
「うん」
 姉の新しい部屋に入るのは、今日がはじめてだ。
 大学に行っていたときにも姉はひとり暮らしだったのだが、そのアパートは実家からも遠くなかったので、僕もたびたび足を運んでいた。
 けれども、卒業後に彼女が就職した先は地元から離れた都市にある企業で、これまで訪れる機会がなかった。
 荷物はここに置いて、と言われたとおりに、ノートパソコンが設置してあるデスクの脇の、艶のあるフローリングの床の上にスポーツバッグを下ろす。
 部屋は3畳ほどのキッチンエリアの奥に6畳ほどの一間がつながったワンルームタイプで、入居したときには新築だったというだけあって、壁紙も、キッチンのシンクやガス台も、すべてがみんな、ぴかぴかしていた。
「準備はバッチリ?」
「うーん。どうかなあ……」
 僕が受けようとしている大学の入学試験が翌日に迫っていた。
 すぐ近く、というわけではないけれど、実家から向かうよりは近いから、という理由で、今夜は姉のところに泊めてもらうことになったのだった。
「とりあえず、ご飯たべに行っちゃおうか」
 その前に着替えるから、ちょっと待って。そう僕に告げて姉はバスルームに入り、ひとり残された僕は、壁際にいくつか並んだ棚に、見るとはなしに目を向けた。
 最近はもう電子書籍ばっかり買ってるから、新居には本棚を置かないで、オシャレなインテリアにするんだ。
 以前住んでいたアパートを引き払うときに、姉はそう豪語していた。
 結局、そのとき処分しきれなかったぶんを実家に送り返してきて、文庫やハードカバーやソフトカバーが詰まった大量の段ボールが、いま、かつて姉の寝室だった一室を占拠しているのだが、ま、それはまた別の話として、この部屋に置かれている金属フレームのシェルフのひとつにも、いろいろな色の背表紙が、ぎっしり詰まっていた。
 姉ちゃんらしいな。
 僕は棚の左端から、黒い人工皮革で装丁された一冊を抜き出した。
 薄い雑誌ほどしかない厚みのわりに、ずっしりとした重さがある本だ。
 表にも、裏にも、題名らしきもの、いや、それどころか、文字のひとつも印刷されていない。
 やや不審におもいながら、僕は表紙をめくった。
 あらわれたのは、白いプラスチックに囲われた、なんとなく古めの電卓の背景を連想させる、グレーっぽい色の液晶画面だった。上のベゼルには、有名なオンライン書店ロゴマークが黒い字で入っている。
 なんだ。ケースに入れただけで、電子書籍の端末なんだ。
 それを元にあった場所に戻し、僕は隣の本を手に取った。
 今度のものには、明るいグリーンの、ビニールのような素材のカバーがかけられている。縦横のサイズも、感じる重量も、さきほどとほとんど変わらない。
 もしや、と開いてみると、中はやはり、電子書籍の端末。フレームが丸っこくて、白黒の画面の下に光沢のある横長の画面がもうひとつはまっていることを除けば、たいした違いはないように感じられた。
「それは『ズック』だよ」
 背後から声をかけられて振り向くと、ブラウスとスカートからセーターとジーンズに着替えた姉が立っている。
「んで、これが『トウィードルダム』で、これが『いいリーダー』で、これがレプリカントOS搭載のネットパッドでしょ」
「電子ブックにしたら、本棚はいらないって言ってなかったっけ」
「そうおもってたんだけどね。だけど、ビビビ文庫は『いいリーダー』でしかダウンロード販売してないし、エスエフNシリーズはサニーの端末にしか対応してないし、あと、英字フォントは『トウィードルダム』とかのほうが読みやすかったり、『今日のココさん』はカラー画面で読みたいし」
「これとこれは、まったくおんなじに見えるよ?」
「それは、容量が足りなくなったから、もうひとつ買っちゃったんだよね。もう売ってないし、対応オンラインショップもサービス終了してるんだけど、サンリオの復刊があったのがそこだけでさ……」


***


「弟とご飯なう、っと」
 とんかつ屋のテーブル席で向かいに座った姉は、そうひとりごとを言いながら携帯電話のタッチパネルに文字を打ちこんだ。
「なに?」
「ツブヤイター」
 僕に答えながら、姉は画面に目を落とす。
「あ、食いつきはやいなー。『ひとりじめかよう。私も呼べー!』これ、早川さんからね」
 私が帰ってるんじゃなくて、弟がこっちに来てるんですよ。姉が返信を書くと、数分のうちに、その上に新しいメッセージが表示される。
「『じゃあ、いま電話する!』だって。弟は明日受験なのでダメです。惑わさないでください、と」
「いつも、そんな感じ?」
「うん。ほかの3人もやってるし、いつも、こんなだよ」
「変わってないんだね」
「昔といっしょだよ」
「あ、でも、ねーちゃんは、なんかいろいろ悪化してるような気もするけど……いてててて」



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* 姉弟の年齢差など、下調べを厳密にしなかったところがあるので、整合性のおかしい箇所があるかもしれませんが、ご容赦いただけると幸いです。

* 登場する団体、商品名などは実在のものとは一切関係ありませんのでご了承ください。



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