家族プラン
「先輩ー、カメラの使いかた教えてください」
麗 (うるわ) が、そう言いながら、部室の窓ぎわに置かれたソファーで文庫本を読んでいたニシちゃんの隣に、ぽふり、と腰をおろした。
「横についてるボタン押したら、ふつうに起動するんじゃないの」
「それは知ってるんですけど、なんかヘンになっちゃって」
「ああ、それは、マクロ撮影のスイッチがフタのところに……」
「りいちゃんー、急に目つき変えないでー」
頭を寄せあってひとつの携帯電話を覗きこむニシちゃんと麗を横目で見ていたわたしに、カンバスの脇からひょっこりと顔を出した杏莉(あんり)から声がかかる。
「……あ、ごめん」
「長いことモデルしてもらってごめんねー。あとちょっとで仕上げちゃうから」
部長、ニシちゃん。本名、西春穂 (にしはるほ)。2年生。体はちいさいけれど頭脳明晰、成績優秀、頼れるみんなのまとめ役。わたしの幼なじみで、二本お下げの眼鏡っ娘。
ニシちゃんに話しかけにいった麗は、部員の中で唯一の1年生。上の名前は洞糸井 (ほらいとい)。肩のあたりまで伸ばした軽く縮れた髪の毛は亜麻色で、異国風ともいえる顔だちと、すらりとした手足がバランスよくマッチしている。
イーゼルをあいだに、わたしとむかい合って座っているのが、杏莉。フルネームは植小草杏莉 (うえこぐさあんり)。2年生。いつでものんびり、ほんわか、ふんわりで、眉の上でまっすぐに切り揃えた前髪と、背中に流れる長い後ろ髪がトレードマーク。
それに、わたし。比久間 (ひくま) りい。2年生。みんなからは、りいちゃんと呼ばれている。どうやってもまとまらない硬いくせっ毛と、スタイルがいいわけでも運動ができるわけでもないのに、やたら身長だけが伸びてしまったのが、ちょっとしたコンプレックスだ。
もうひとり、ハナというあだ名で、中学校時代からの杏莉の親友の摩周花葉 (ましゅうはなは) は、今日は学校に来ていない。
海坂徳育 (みさかとくいく) 女子高校美術部は、その5人だけが部員の、ちいさな部活動だった。
いまは放課後。わたしは杏莉にたのまれて、デッサンのモデルになっていた。
視線を前に戻し、姿勢を正して椅子にかけなおす。
しばらくまっすぐをむいて座っていると、今度は、じゃらりーん、という、携帯電話に付属しているカメラのシャッターを切ったときに鳴る音が室内に響いた。
ふたたびちらりと目をむけてみる。麗が、自分撮りの要領で、ニシちゃんとのツーショットを撮影したところのようだった。
「あ、ちゃんと撮れた。ありがとうございます」
それで、これをメールに添付するのは、どうしたらいいんですか? 麗は重ねてニシちゃんに訊く。
その口調が、わざと甘えようとしているもののように、わたしには聞こえた。
麗が携帯電話を買ったのは、つい最近のことだった。
はじめてそれを学校に持ってきた日、あ、あたしのとおんなじ機種だね、とニシちゃんに言われて、本当ですか? じゃあ、わからないことがあったら訊いてもいいですか? と喜んでいたのだけれど、その前の一ヶ月くらい、ニシちゃんが携帯を取りだすたびに、彼女の手もとを麗がちらちらと観察していたのにも、わたしは気づいていた。
携帯電話だったら、杏莉もハナも持っている。使いかたを教えてもらいたいだけなら、別にニシちゃんと同じにする必要もないのに。
わたしがぐるぐる考えているうちに、杏莉はデッサンを完成させたらしく、カンバスのむこうがわで腰を伸ばしながら立ち上がった。
「終わったよん。ありがとう。疲れたでしょ」
「あ、うん、別に」
「終わったの?」
窓ぎわのソファーからニシちゃんが訊ねてくる。
「うん。今日はおしまいー」
杏莉が答える。
じゃあ、そろそろ帰ろうか。帰ろうか。
そういうことになって、部室をひきはらい、校門を出て、バスターミナルまでを4人で歩く。
その道すがら、杏莉はずっと携帯電話を開いたままだった。
2、3分ごとに着信を告げているらしい振動があって、そのたびに親指がキーパッドの上を忙しく走りまわる。
「誰と? ハナ?」
「うん」
ニシちゃんの質問に、杏莉は電話に片目をむけたままで返事した。
「なにしてるって?」
「ん? わかんない。それは訊いてないし」
だったら、どんなメールしてるのよ? そうニシちゃんに言われた杏莉は、こんなの、と、ちょうど受信したばかりだった文章をわたしたちに見せる。
画面に表示されていたのは、『ナンノ◞≼(◞≼⓪≽◟⋌⋚⋛⋋◞≼⓪≽◟)≽◟ヨウダ』という文字列だった。*1
「……どういう会話の流れで、そういう返事が来ることになるの」
えっとねー、と杏莉はボタンをいくつか操作して、それからこうつづけた。
「ひとつまえにわたしが送ったのは、『<≡・人・≡>ごにゃにゃにゃーっ』ってやつで、それはニシちゃんの『にゃあ。』ってメールへの返事でー」
「通信料の無駄遣いだ……」
「そんなことないよ。大事なコミュニケーションだよう」
そのとき、麗のブレザーのポケットから童謡のメロディが流れ、麗は、あっ、と嬉しそうに声を上げて電話をひっぱり出した。画面を開けてのぞきこみ、顔をほころばせる。
それから彼女はキーパッドに両手を添えて、たどたどしく打鍵しはじめた。
そして、杏莉よりもそうとう長い時間をかけて返信を書き終えると、満足そうな顔で送信ボタンを押す。
「クラスの友達?」
ニシちゃんの問いに、麗は首をぶんぶんと横に振った。
「いえ。いまのは、うららからでした」
「えっ?」
「えっ、妹ちゃんもケータイ買ったの?」
杏莉とニシちゃんが、驚いて聞き返す。
「そうなんです。家族プランっていうんですか? それだったら、もう一台が安く契約できるって教えてもらったので」
「あ、そうだよねー。うちのも家族契約で買ってもらったんだよ」
と、杏莉。
「納屋に固定電話はあるんですけど、メールとか写真が使えるのは便利かな、って」
そしたら、うららも、もっといろんなものを見ることができるようになると思いますし。
「あっ、そういえば、コレが、いま送ってきた写メールです」
そう言って麗が掲げた画面には、送り主が自身の姿を撮ったものなのであろう、灰色のぬらぬらした肌の一部と、それを覆うフジツボのような形の突起、さらに、その隙間で見開かれ、こちらを見つめている黄色や赤の無数のちいさな眼が写った画像が表示されていた。
ヤマナミヤ百貨店の前で杏莉と別れ、谷土経由木ノ楠湊行きのバスに乗ってからも、麗はニシちゃんに、壁紙の設定のしかたや着信音のダウンロードのしかたといった質問を矢継ぎばやにしつづけた。
わたしは、ニシちゃんと麗が隣同士腰をおろしたののひとつうしろのふたりがけ席にひとりで座り、ずっと窓の外を眺めていた。
麗が、わたしに対する悪意を持ってそのような行動をとっているのではない、というのは、よくわかっているつもりだ。
彼女は、大人びた容貌から受ける印象とは反対に、幼くみえるふるまいをすることがたびたびある。
今回のことも、子供っぽい無邪気な喜びのあらわれにすぎないのだろう。
注目してくれるニシちゃんがいることと、携帯電話を手に入れたことが単純に嬉しいのだ。
理解はできている。
なのにどうして、わたしはこんなに不機嫌になっているんだろう。
がくん、とちいさく揺れて、バスが停車する。
「あ、もう谷土ですよ」
慌てたように麗が立ち上がって、比久間先輩、また明日です、と笑顔で会釈をしながら降車口にむかう。
つづいて席を立ったニシちゃんが、ふだんはそんなことをしないのに、突然かばんを持っていないほうの手を伸ばして、わたしの頬を両側から指ではさみこむようにしてきたので、わたしはすこしうろたえた。
「な、なに?」
「なんでもない。じゃあね」
ニシちゃんは、ぶにっ、とわたしのほっぺたを押してから手を離し、麗についてバスを降りていった。
ばれてたのかな。
感情の起伏は顔に出にくいほうだと、わたしは自分でも思う。
だけど、わたしのことを昔からよく知っているうえ、洞察力にも優れたニシちゃんには、いつも見通されてしまっているような気になるのだ。
夕ごはんのあと、お堂の地下の石貼りの部屋にひきとったわたしは、箪笥の上から朱塗りの文箱をおろした。
幼いころから、大事な品物をとっておくのに使っている箱だ。
一緒に住んでいるものたちが拾ってきたり、お堂のまわりの森で自分で見つけたりしたもの。それから、ニシちゃんにもらったもの。
蓋を開けると、中にはビー玉や太い釘、緑青のふいた硬貨、黒ずんだ色の金属製の首飾り、動かない腕時計、花模様の指輪。それらにまじって、お札も数十枚、皺を伸ばして角をそろえて入れてある。
500円札、夏目漱石の1000円札、聖徳太子の1万円札。
もちろん、何回数えてみたって、携帯電話を契約して月々の支払いをしていくには、とても足りない。
わたしが紙幣を箱に戻し、蓋を閉じようとしたとき、壁ぎわの床に直に置いてある黒電話が、じりんじりんと鳴った。
「はい」
受話器を取る。
「もしもし、りいちゃん?」
相手はニシちゃんだった。平日の夜にかかってくるのはめずらしい。
どうしたの。わたしが訊くと、回線のむこうのニシちゃんは、ん、別に用はなかったんだけど、なんとなく声を聞きたいな、と思ったから、と言う。
「……わたしの声なんか聞いて、どうするの」
「どうもしないけどさ。ちょっと話し相手になってよ」
天井からぶらさがった裸電球が、黄色っぽいあたたかい光を投げかけてきている。
わたしは受話器を耳にあてたまま、箪笥を背にして座り、床に足を投げ出した。
(Monsters v.s. Deep Ones の本編/番外編のこれまでの更新ぶんはこちら。)
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*1:インスマス面の顔文字は、@DHKNS (寺田旅雨) 様のこのTwitter投稿から借りさせていただきました。