白くびよよんとした、細長い形のもの

Monsters v.s. Deep Ones 番外編。2月14日ネタをやりましたので、いちおう対(?)になるものを。


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「今日がなんの日だか、おぼえてる?」
 ニシちゃんが言った。
 わたしたちは、ハナの家の、庭に面したテラスの中にいた。
 すぐ目のまえからはじまっている手入れのいきとどいた芝生の上に、細かい霧のような雨がやわらかく降りかかっている。
 その雨のせいで、庭のさらにむこう、赤向湾をへだてた先に浮かんでいる瑠璃江島の黒い稜線も、今日はぼんやりとにじんで見える。
 ニシちゃんの言葉は、ハナにむけられたものだった。
「えっ、今日? なんか、特別な日だったっけ?」
 そう答えながら、テラスの軒先ぎりぎりに置かれた椅子からふりかえったハナの口もとで、なにか、白くて細くて長いものが、びよよん、と揺れた。


 ニシちゃん。本名、西春穂(にしはるほ)。2年生。体はちいさいけれど頭脳明晰、学業優秀、頼れるみんなのまとめ役。二本お下げの眼鏡っ娘
 彼女が質問をむけた相手、ハナのフルネームは摩周花葉(ましゅうはなは)。2年生。ベリーショートにした髪と、引き締まった体、見た目どおりの運動万能少女。
 ハナの隣では、植小草杏莉(うえこぐさあんり)がスケッチブックを広げていた。彼女の通称は杏莉。2年生。いつでものんびり、ほんわか、ふんわりで、眉の上でまっすぐに切り揃えた前髪と、背中に流れる長い後ろ髪がトレードマーク。
 それから、わたし。比久間(ひくま)りい。2年生。みんなからは、りいちゃんと呼ばれる。どうやってもまとまらない硬いくせっ毛と、スタイルがいいわけでも運動ができるわけでもないのに、やたら身長だけが伸びてしまったのがコンプレックス。
 わたしたちは、海坂徳育(みさかとくいく)女子高校美術部の部員だった。
 もうひとり、ここにはあとから来ることになっている、洞糸井麗(ほらいというるわ)という名前の1年生部員がいるものの、それで全員、というちいさな部だ。
 今日は、杏莉が、瑠璃江島の写生をしたい、と言いだしたのだけれど、あいにくの天気になってしまい、それならば、と、島もよく見えて雨に濡れることもない、摩周邸にやってきたのであった。
 赤向湾に突き出した岬の端にあるこの洋館は、実際、豪邸と呼ぶにふさわしかった。
 いまはハナとハナのお母さま、それにお手伝いさんがひとり、ひっそりと住んでいるだけなのだけれど、先代までの摩周家は、海運業で大きな財を成し、そうとうに羽振りがよかったのだという。この家も、そのころに建てたものらしい。
 このテラスに置いてある金属製のテーブルや椅子も、貝や海棲生物をかたどった装飾がふんだんにほどこされた、重厚な品だった。
 それらの椅子のうちのひとつの上であぐらをかいて、口をもぐもぐ動かしながら、ニシちゃんに訊かれた質問の答えをぶつぶつ考えているハナからは、良家のお嬢さまという雰囲気は感じられないのだが。
「ええっと、今日は日曜日でしょ。んで、麗とうららの誕生日はこないだだったし、ニシちゃんとりいちゃんのはまだ先だし……」
 ハナはそこでつぶやくのをやめて腕を組み、首を何度かひねったあと、杏莉のほうをむいて訊ねた。あれ、杏莉は誕生日いつなんだっけ。
 その質問に杏莉は、手を動かしつづけながら、6月ー、と答える。
 杏莉の膝に置かれた画帳の上では、瑠璃江島の遠景が完成しつつあった。
 手前に広がる湾のおだやかな海面と、雨にけぶる島影が、鉛筆の黒一色で見事に表現されている。
 だが、描かれているのはそれだけではなかった。
 島の上空に寄り固まった、泡か眼球の集合体のようなもの。
 そこから離れて飛びまわっているらしい、いくつもの球体。(これらも単体の泡か眼球なのだろう。)
「あのさ、それは、写生をしてるんだよね?」
 やはり気になったのだろう、さきほど手もとを覗きこんだニシちゃんに、杏莉は指摘を受けていた。
「ん? あ、違うよ、コレは、夢に出てきたの」
 杏莉は、そう応じてから、ちょうど今日みたいな天気の日で、あのへんに、コレが浮かんでたんだよ、とつけくわえて、鉛筆のお尻で瑠璃江島の右斜め上あたりの空間を指し示したのだった。


「誰かの誕生日ではありません。思い出せない?」
 ニシちゃんの再度の問いかけに、ハナは首をぶるぶると振る。
「なんだっけ。ヒントは?」
 そう返事をしたハナに、ニシちゃんはおおげさに溜め息をつきながら、肩をすくめてみせた。
「あんなに心をこめた贈りものをしてもらったのに、おぼえてないの?」
 それからニシちゃんは、わたしのほうにむきなおり、芝居がかった口調でこうつづける。
「ほら、コイツは、こんな、純真な乙女心をもてあそぶような真似をするヤツだったんだよ。別れちまいなよ」
 ちょうどティーカップを口に運んでいた杏莉が、すすったばかりの紅茶を、ぶっと吹き出すのが見えた。
 ニシちゃんのその台詞ではじめて、わたし自身も、今日がなんの日だったのかにようやく思いあたった。
 そして、それが意識にのぼってくると、首から頬にかけてが、急にかあっと熱くなってくる。
「あ、ホワイトデー」
「……あの、別に、お礼を期待してあげたわけじゃないから」
 ハナがはた、と手を打ったのと、わたしがちいさく声を上げたのは、ほとんど同時のことだった。
「ニシちゃんは、ちゃんと準備してきたの?」
「もっちろん」
「しまったなあ。忘れてたわけじゃないけど、忘れてた」
 弁明になっているようでなっていないことを言いながら、ハナは困った顔をする。
「麗に電話して、なにか買ってきてもらったら。まだバスに乗るまえかもしれないよ」
「でも、自分で選ばないと」
 うーん、と、ハナはしばらく考え込んでいるふうだったが、やがて、あ、と顔を上げ、口にしていた白い細長いものを手にとって、わたしのほうに差し出してきた。
「とりあえず、これあげる」
「いらないって!」
 わたしが反応するよりも早く、ニシちゃんからツッコミが入る。もっとハナの近くに立っていたら、頭のひとつぐらい叩いていたかもしれない。
「だいたい、それ、食べかけでしょ。おもいっきり歯形ついてるし。汚い」
「こっちがわは食べかけじゃないから大丈夫。ほら、こうすれば……」
 と、ハナは、その白いものをもう一度くわえて、自分の口に入っていないほうの終端を手で支え、わたしにむけてくる。
「なんで、あんたとポッキーゲームなんかしないといけないのよ。しかも、チーズかまぼこで」
「ニシちゃんにあげるんじゃないよ」
「わかってるけど、誰だってイヤでしょ」
ポッキーゲームって言うくらいだから、ポッキー使えばいいんじゃないかねー」
 それまで、両腕を伸ばしてスケッチブックを持ち上げ、自らの描いた絵と実際の風景を見比べるようにしていた杏莉が、横から会話に加わる。
「ポッキーならいいのか。それなら、キッチンにあったような」
 えっ、そういう問題じゃなくて……。
 わたしが反論しようとしたとき、玄関で、キンコン、とチャイムが鳴った。
「あ、麗かな」
 ハナは椅子から立って、テラスと建物をつないでいるガラス戸のほうへ歩き出す。
「ついでに台所からポッキー取ってくるー」
 さきほどまでのやわらかな雨はいつしか止み、まだ霞んだままの瑠璃江島の右上あたりで、雲が割れはじめていた。



(Monsters v.s. Deep Ones の本編/番外編のこれまでの更新ぶんはこちら。)


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