『オトラント城屍鬼譚』

で、ゾン子さんと蜜月を過ごした結果、このようなものが生まれました。(ただ単に、わたしが読んだものにすぐ影響される単純な性格をしている、ということかもしれませんが……。)


試訳していたホレス・ウォルポール原作の『オトラント城奇譚』(The Castle of Otranto) の冒頭部分をいじったもの。改変の方向性としては『高慢と偏見とゾンビ』の完全な二番煎じなので、つづきは書かないとおもいます。(「続きを読む」クリックで展開します。)


―――――
オトラント城屍鬼

ホレス・ウォルポール 原作/高家あさひ 翻訳・改作


 オトラント城主のマンフレッド公には、息子がひとり、娘がひとりいた。
 娘は、この世でいちばん麗しく純潔な乙女……というわけでもなかったが、元気で利発な12歳の少女で、マチルダという名前。息子のコンラッドは彼女より3歳年上で、外見はヒョロヒョロ、しかも病気がち、無芸、と悪いほうに三拍子揃っていた。
 けれども父親の寵愛を一身に集めているのはコンラッドのほうで、公はマチルダのことを気にかける素振りすら見せなかった。
 そのコンラッドは、ビンセンツァ侯の娘イザベラと結婚することが決まっていた。(もちろん、マンフレッド公が奔走して婚約を取りつけたんである。)
 花嫁は、すでに護衛たちの手によってオトラント城に送り届けられており、あとはコンラッドの健康状態が良好なときを見はからって式を挙げるだけだった。


 マンフレッド公が焦っている、一日でも早く息子を結婚させたいと切望している、というのは、家族や近隣の住人のあいだでは公然の秘密だった。
 公の怒りっぽい性格をよく知っている家族の者は、公の焦りの理由について噂することを控えていた。
 ただ、妻のヒポリタだけは、結婚を急ぐことへの不安を折にふれて漏らしていた。コンラッドはまだ若すぎる。それに、病弱にすぎるのではないか。
 けれども、彼女がそう口にするたびに、公は、この心優しく誰からも好かれる淑女であった妻を罵るのだった。お前が跡継ぎをひとりしか生まなかったのがいけないのだ、と。
 家来や領民は公の家族よりも無遠慮に、領主は古の予言を恐れているに違いない、と噂しあっていた。
 その予言は、「オトラントの城と領地には正統な後継者が存在する。その人物が成年に達したら、土地は現在の支配者の手を離れ、その者に返還されることになるだろう」というもので、現状と照らし合わせると特に恐れる必要もないものであるように思えた (マンフレッド公が不当な手段で城と領地を手に入れた記録はなく、病弱で無芸ではあるけれどコンラッドが血筋的に「正統な後継者」であることにも疑いはなかった)し、よく考えればコンラッドの結婚との関連性もたいしてなさそうなのだけれども、領民たちは、この予言こそが領主の不安の原因、と決めつけていた。


 結局、婚儀はコンラッドの誕生日に合わせておこなわれることに決まった。
 当日が来て、皆が城内の教会堂に集まり、あとは神の前で夫婦の契りを結ぶばかりになったとき、誰かが気づいて声を上げた。
 花婿がいないぞ! 
 マンフレッド公にとっては、一刻もはやく式を成立させることがなによりも重要なことがらだった。
 それが滞ったため、彼はいらだち、自分の従者のひとりに、ただちにコンラッドを呼んでくるように、と言いつけた。
 命をうけた従者は、教会堂を出ていったかとおもうと、すぐに駆け戻ってきた。
 中庭を通り抜け、コンラッドの部屋まで行って帰ってきたにしては時間がみじかすぎる。
 その場にいた全員が彼に注目した。
 従者は息を切らし、半狂乱の様子で、目は大きく見開かれ、口の端からは泡を吹いていた。
 そして、彼は無言で中庭の方向を指し示した。


 教会堂の中にいた人びとは、驚きに打たれ、恐怖をおぼえてざわついた。
 ヒポリタに至っては、息子の身を案ずるあまり、何を告げられたわけでもないのに気を失い、床に崩れ落ちてしまった。
 マンフレッド公は、不安をかきたてられたというよりも、儀式の中断と、自らの使用人が見せた醜態に怒りを感じた。
 しかし、公が厳しい語調で、どうしたというのだ、と問うても、従者は返事をせず、口をぱくぱくさせながら、中庭を指さし続けるだけだった。
 何度も何度も同じ質問が繰り返されたあとで、彼はようやく、言葉を絞り出すようにしてこう言った。
「鎧が! 鎧が!」


 それとほぼ時を同じくして、中庭に様子を見に行った一団からおぞましい叫び声が上がったのが教会堂の中まで聞こえてきた。
 息子の姿がいまだ見えないことに危機感をおぼえたマンフレッド公は、何がこの奇怪な騒動を引き起こしたのかを自らの目で確かめんと外に向かおうとした。
 マチルダは、倒れた母親を気遣ってその場に残った。
 イザベラも公爵夫人の傍らにかがみこんだ。
 介抱しようと思ったからではあったけれど、自分の本心が顔に表れてしまわないようにするためでもあった。
 はっきり言って、イザベラはコンラッドのことが嫌いだったのだ。


 と、そのとき。
 扉の近くに集まっていた参列者の間に混乱と恐怖が混ざり合った悲鳴が広がった。
 押し開けられていた教会の入り口に何者かが押し寄せ、彼らのうちの数人の頭を一撃のもとに叩き落したのだ。
 参列者たちは我先にと、教会堂の奥に逃げ場を求めて殺到した。
 それを追って、礼拝用の長椅子の上に乗り、さらにそれらを押しのけ、破壊しながら進んでくるのは、この世ならざるものたちの集団だった。
 皆、青白い肌を持ち、ある者は全ての毛髪を失い、ある者は、名残の数本だけを頭皮にへばりつかせている。
 ある者は生者とほとんど変わらぬ肉体を持っていたが、ある者の身体からは肉がごっそりと削げ落ち、骨が剥き出しになっていた。
 またある者は、自分の腹部からはみ出した臓物をずるずると引き摺って歩いていた。
 そやつらは、何かにつまづいて転んだり、足がすくんで立ち止まってしまったあわれな参列者の前までやってくると、容赦なく首を捻じ切り、手足を引き抜き、脳漿と骨髄をむさぼり食った。


 外に向かうため通路の真ん中を大股で歩んでいたマンフレッド公は、思わず足を止め後ずさりした。
 襲撃から逃れることができた参列者たちは、祭壇の裏に身を寄せ合って隠れようとしていた。
 公爵夫人は、いまだ力なく倒れ伏したままだ。
 公は死者の群れを追い払うため、腰に下げた飾り物の剣の柄に手をかけようとした。
 だが、持ち上げた右手はぶるぶると小刻みに震え、彼の意思の通りには動かなかった。
 目が落ち窪み、頬がげっそりとこけ落ちた醜悪な顔が彼の眼前に迫り、伸ばされた数本の手が彼の髪の毛を掴む。
 マンフレッド公は悲惨なる死を覚悟した。
 だが、次の瞬間。
 熟れすぎた林檎が潰れるような音がしたかと思うと、粉々になった腐肉と砕かれた脳みその欠片、さらには悪臭を放つ汁が、彼の顔面に降り注いだ。
 頭を失った死さざるものたちが、首のあたりから体液を噴き出しながらゆっくりと倒れてゆく。
 そのうちの一体の背中を足で踏みにじり、とどめをさしたのは、花嫁衣装を着た少女――イザベラだった。


 マンフレッド公に襲いかかる屍鬼どもを目にしたイザベラは、公爵夫人の脇から素早く立ち上がり、祭壇から大きな銀の蝋燭立てを2本、つかみ取った。
 そして、片方を徒手空拳のまま闖入者の一団に向かっていこうとしていたマチルダに投げ渡すと、マンフレッド公を取り囲んだこの世ならざるものの頭部に、燭台の太い基部を叩きつけたのだ。
 彼女は、まもなく義理の父になるはずの男を守ろうとしたわけではなかった。
 むしろ、自分への扱いは丁重であるけれど、優しいヒポリタや愛らしいマチルダに軽々しく怒りをぶつけるマンフレッド公に対して、イザベラは反感を覚えていた。
 それに、いずれ家族の一員となったら、彼女自身も彼の罵倒の対象となるに違いない。
 だが、戦士としての本能が、イザベラを戦いに駆り立てた。
 彼女の父のビンセンツァ候は、十字軍で先陣を張ったこともある勇猛で有能な武将であった。
 ひとり娘のイザベラは、幼いころから様々な武術を教え込まれて育った。
 その中には、槍や剣の扱いかた、馬上での戦いかただけでなく、古代ギリシャやローマでたしなまれていたという体術や、ビンセンツァ候がイスラームの国々の兵士の戦いぶりを参考に編み出したという曲刀と短刀を用いた近接戦闘術も含まれていた。
 そして彼女は、オトラントの城にやってきてすぐに意気投合し、実の姉妹のように親密になったマチルダにも、自らの技のいくつかを伝授していたのだ。
 もともと活発で、お姫様の格好をして部屋でおとなしくしているよりも男の子のような服装で城内をあちこち駆け回っているほうが好きだったマチルダは、優秀な弟子だった。
 現に今もマチルダは、祭壇の手前で動く死体の群れの一翼と相対し、一歩も引かずに渡り合っていた。
 イザベラとマチルダは、淡い色をした祝儀の衣装に返り血返り汁が跳ねかかるのもものともせず、屍鬼どもを狩り続けた。
 しばらくして軍勢の半ばを失った襲撃者たちは踵を返し、入口のほうへと退却し始めた。
 ふたりは、背を向けてのろのろと歩んでいくそやつらに追いすがり、さらに数体を打ち倒して道を開け、中庭を目指した。


 教会堂から出たイザベラとマチルダの前に現れたのは、全身鎧を身につけ、大剣を携えた人物だった。
 いや、人物、と呼ぶのは適切ではないかもしれない。
 鎧の継ぎ目という継ぎ目からは漆黒の煙のようなものが立ちのぼり、跳ね上げた目庇の奥から、ふたつの瞳が、きろり、と赤く輝いている。
 そして、そやつの足下には、無惨に引き裂かれた花婿の身体が散らばっていた。
「マチルダ、下がっていなさい。こいつは手強いわ」
 燭台を戦鎚を扱うように構えながらイザベラが告げる。
「いいえ、お姉さま。助太刀いたします」
 マチルダは気丈にそう言うと、イザベラと肩を並べた……。



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