窓の外に気をつけてください

 コンピュータのスクリーンに映し出されたその動画をひと目みた瞬間、ある予感が私の中を駆けぬけた。
 そして、その予感は、おそらく正しいものだ。
 ふたたび来たのだ。あのときが。
 スクリーンの中では、蛸の触手に似た毛髪をした少女が、歌い、踊っている。


 その日の午後じゅうずっと、私はコンピュータのまえに座って過ごした。検索エンジンをあやつり、動画共有サイトを巡り、掲示板群に目を通す。収集された膨大な量の情報の中から浮かびあがってきたのは、否定することのできない事実だった。


 「いずれの日か、(科学によって)分散していた知識は統一され、驚異に満ちた現実の全景が我々のまえに広げられることになるであろう。そして、それとともに我々は、自らの存在がいかに脅威にさらされたものであるかを知る。そうなったとき我々に残されている道は、すべてを目にして発狂するか、あるいは知識の光と、それのもたらす恐怖を避け、新たな暗黒の時代の安寧に身を寄せるか、どちらかしかない。」*1
 

 H.P.ラブクラフトはこのように述べ、科学への警鐘を鳴らした。けれどもおそらく、いま私たちが恐れなくてはならないのは、科学がもたらす「発見」する力ではなく、その「発見」を可能にし、さらに「発見」の伝播を格段に高速化させる、情報通信技術のほうなのかもしれない。


 前回、古き神々の目覚めが近づいた――近づいただけで、不完全なものではあったが――のは、1925年のことだった。そのとき、観測された様々な兆候――地震、嵐、限られた人々に訪れた悪夢、太古からの知識を守りつづけてきたものたちの活動――のあいだに存在する関連性をとらえ、背後にある本質に迫ろうと挑んだものは、世界でもほんの数人だけであった。
 もっとも、その数人の出現でさえ、驚くべきことではあったのだ。そのほんの100年、いや、もしかすると50年ほどまえまで、ひとりひとりの人間は、自らのすぐ近くで起きていることしか知ることができなかった。地球上の異なる場所で発生した事象について学び、それらを関連づけて、「世界になにかが起きている」と考えること、つまり、今ふうの言葉でいうと「グローバル」な視野をもつことは不可能だったのである。だから、たとえ目覚めの兆候が世界中でみられたとしても、不特定多数の人間が古き神々の存在に気づく、という可能性はなかったのだ。
 1925年に、兆候から古き神々の存在を推察することができた人間が数人とはいえ――そして、そのうちの誰ひとりとして、この世の中に残ってはいないが――あらわれたのは、私の見立てによれば、特にそれらの人物の思考能力がすぐれていたわけでも、また、(どうやらいまだに現代人は原始人よりも頭がよくなったと信じている人間はいるらしいが)人間の知的能力の「進歩」によるものでもない。それはひとえに、電信技術と新聞の普及という、道具の発達によってもたらされたものだったのである。
 たとえば、アメリカ合衆国に住んでいたある男は、世界各国からのニュース記事をあつめることによって、神々の存在を推測した。そして、彼の死後、今度は彼の甥にあたる人物が、これも新聞記事をたよりに、ルルイエの浮上を目撃したただひとりの生存者――もちろん、長くは生存しなかった――の居場所を探りあてたのだ。電信と新聞によって、人間ははじめて、地球規模で「世界」を考えることができるようになったのである。
 

 そして、今回。人間は、電信と新聞よりもさらに高速な情報通信手段を獲得している。人々の夢にあらわれた古き神の姿は、またたく間に絵や動画として広まった。そして、火山の活動、地震、暴風といった兆候は、あらゆる場所で報道されている。中にはすでに、それらの相互の関連性を指摘するものまであらわれはじめている。


 早く行動をおこさなければならない。私はコンピュータのまえの椅子から立ち上がり、外出の準備をはじめた。裾のひろがった丈の長いコートをはおり、マフラーを顔にまきつける。それから、帽子を目深にかぶる。こうすれば、身体の細部が隠れ、ほぼ人間と変わらない外見になるのだ。


 数時間後、私はとあるアパートの2階にある、ベランダの隅に身を隠していた。薄いカーテンごしに室内をのぞくと、若い男がひとり、コタツにもぐりこみ、ノートパソコンになにかを盛んに打ちこんでいる。間違いはないだろう。最近ブログに古き神々の存在を示唆する記事を書きつづけている人物だ。


 私は、わざと大きな音をたてて窓に飛びついた。男がこちらをみる。その顔が、しだいに、恐怖にゆがんでいく。


…………
 仕事を済ませたあとで、私は男のノートパソコンに目をやった。画面には、ブログの記事作成ツールが表示されていた。男が書いていたらしい文章は突然とぎれ、こんな言葉で終わっている。
「窓に! 窓に!」
 私は彼のかわりに、送信ボタンを押してやった。そして、仕事のできに満足した私は、次の標的のもとへとむかう。

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「私の妹がそんなに繊細なわけがない」という話を書いたところ、コメントで「クトゥルカ」(「たこルカ」)動画を紹介していただいたので、こんどはそれをネタにした話を考えてみました。


あと、「窓に!窓に!」という検索語句からこのブログにやって来られるかたが、数はすくないけどコンスタントにおられるので、そんなに知られているフレーズかなあ、とおもってたんですが、どうやらクトゥルー神話系の「お約束」のひとつのような扱いなのですね。なんとなく納得。

*1:H.P. Lovecraft, "The Call of Cthulhu," in H. P. Lovecraft, (ed. by S. T. Joshi), The Call of Cthulhu and Other Weird Stories. Penguin Books, 1999: p.139. 翻訳文は筆者による。