さとがえり

博士論文の事前調査のほかにもうひとつ、楼家島に行った理由があったのだ。


私には、6歳上の兄が、ひとりいる。その兄は、去年の春、結婚した。しかし、私はその相手に、一度も会ったことがなかった。それについては、アメリカに行ったまま、なかなか里帰りもしなかった私もいけないのだけれども、結局ちゃんとした結婚式を挙げなかった兄のせいでも多少はあるとおもう。


以前にも書いたように、私の父方の家系は、3、4代前まで楼家島に住んでいた。父方の祖母も、同じ島の出身だった。そして、兄も、そのルーツをたどることに決めたらしかった。それも、やや極端ともいえる方法で。


だから、私が楼家島を訪れたもうひとつの目的、というのは、4年ぶりに兄に会い、彼の結婚相手にも挨拶をしてくる、というものだった。


楼家島の漁港と商業港は、島の北側、その名も楼家という土地にあるのだが、島の反対側には、印寿真瀬(いんじゅませ)という、ちいさな集落がある。せまい入り江の奥の、砂浜に沿うようにしてつくられた漁村。ここには、島で田子ん様(タゴンサマ)とよばれている神様をまつった、小規模な社があるのだ。田子ん様は、社につたわる古文書には、人間と魚類の両方の特徴をそなえた身体を持っているように描かれており、豊漁の神だという。鹿児島本土や、琉球諸島の伝承、信仰にもみられない、一種独特の神であるといわれている。


私は田子ん様にお参りしたあと、集落の漁師のひとりに頼みこみ、手こぎの舟を出してもらった。兄の名をつげると、長年にわたって受けてきた海風と陽光が肌に深く刻み込まれているようなその老人は、すぐに了解してくれた。


波は穏やかだった。入り江の中ほどまでこぎ出すと、老漁師は舟を動かすのをやめ、海にお神酒を振りまいた。それから、二度ほど柏手を打つ。


しばらくすると、いままで静かにゆらめいているだけだった海面に、やや大きめの泡がいくつか浮かんできた。それらにつづいて、すきとおった水の中を、ふたつの影が上昇してくる。


そして、水音とともに、頭が二個、水面に突き出された。わずかに人間的な髪が残っているほうが、兄のもの。毛髪のない、ぬるりとした質感の頭頂部は、兄の結婚相手のもの。ふたりとも、はなれた、瞬きをしないちいさな丸い目で私を見ていた。私は船べりに座ったまま、挨拶をする。はじめまして。兄をよろしくお願いします。


やがて、彼らはふたたび海中に没し、老人は舟を岸に向けてこぎはじめる。私は、ふたりがいたあたりの海面を、ずっと見つめ続けていた。


すえながく、おしあわせに。