祖母の形見

仏壇のいちばん奥に掲げてある仏様の絵姿の、足もとあたりのところに、それはいつも置かれているのだった。
白みがかった金色の金属でできたその物体は、高さ3センチメートル、幅5センチメートルほどで、手前にむかってゆるやかに湾曲している。両端は、そこで折りとられたかのように不均衡なかたちをしていたけれども、断面にあたるはずの部分はなめらかになっていて、ちょうど海岸に落ちている、波に洗われて角が丸くなったガラスの破片のようだ。もし、これが、壊れた何かの一部だったのだとしても、その破壊はとおい昔に起きたのだろう。あるいは、本当に、海の深いところから波に流されてきたのかもしれない。
こちらがわに向いている面の上下は、うすい波形の線でふちどられていた。そして、その線にはさまれたところに、いくつかのかたちが浮き彫りになっている。これらも、もとはしっかりとした意匠だったものが、長い年月か度重なる摩擦によって表面が削られ、茫洋となってしまったように見える。
しかし、それらのかたちをたどることは、まだ可能だった。左右に配置されているのは、おそらく貝だろう。片方は巻貝、もう片方は二枚貝を模したものらしい。そして、中央に刻まれているのは......。


それは、魚をかたどった模様であるらしかった。あるいは、海豚なのかもしれない。けれども、そこには、ふつうの魚や海豚にはあるはずのないものが付加されていた。そう、人間のそれをおもわせる、腕と脚が。そして、それらの先には、両生類のものにも似た、不釣り合いに大きな、水掻きのついたらしい手と足がついているのだ。

    • -

私の父方の祖父はまだ健在で、私の実家のすぐ近くの家に住んでいます。祖母は私が2歳のときに亡くなったそうですが、そのときのことはあまりおぼえていません。それが上の文章とどう関係しているかというと、上で出てくる「物体」というのが、祖父の家の仏壇に飾られているものなのです。そして、祖母の生前をおぼえている私の兄によれば、それは、祖母がなくなる以前には仏壇には置いていなかったのだとか。なので、祖母の形見なのかもしれません。それほど派手な色や模様をしているわけではなく、どちらかというと小さいものなのに、祖父の家に行って仏壇におまいりするたびに、気になっていたのでしが。(そういえば、祖父は私たちのいたずらには比較的寛容だったのですが、いちど私が仏壇に登ってそれを取ろうとしたら、ひどく怒られました。)


で、最近、「奄美諸島薩南諸島の民俗」という古ーい本(私が研究しようとしている楼家島の宗教行事について言及しているほぼ唯一の文献。ほんのちょっと言及してるだけだけど)を読んでいたところ、どうやら楼家島では、「装身具に貝類や奇妙な形状をした魚類の意匠をほどこす」ことがある、らしい。なにか関係がありそうな気もするのですが、たしかに父方の家系は楼家島の出身なんだけど、それは祖父のおじいさんぐらいの代のことで、祖母もそうなのかは知らないのです。こんど帰ったときに聞くことができるかな。


関連: 研究のこと