Innsmouth再訪

春休み最終日の日曜日、私はアーカムインスマスをむすぶ州道に車を走らせていた。
州道といっても、このあたりでは中央線すらも剥げかけた片側1車線のぼろぼろの舗装道、ところどころ、どこに続いているのかもわからない分岐線があるほかは、冬枯れの茂みにおおわれた路肩が延々と続いているだけだ。
この地方に本当の春が来るまでには、あとすこし間があったけれども、昼過ぎの太陽は天頂近くで輝いていて、車の中はあたたかい。
風を入れるために、ほんのわずかだけあけていた窓から流れ込んでくる空気に、潮のにおいが混ざりはじめてしばらくすると、道の先に、教会の尖塔が2本ほど見えてくる。
それが、インスマスの町だ。


インスマスを訪れるのは、去年の冬以来のことだった。
そのときは、友人たちをともなって、この町にあるアウトレットモールに買い物に来た。
今回は、州道のインターチェンジのすぐそばの、そのアウトレットモールは素通りして、町の中心部に車を乗り入れる。
メインストリートは、構造や建物のスタイルという意味ではアーカムや、その隣町であるキングスポートのそれとさして変わらないように見えるけれども、人通りが格段にすくなく、戸を閉ざした店舗のほうが営業中の店よりも多い。
日曜日だから、というのもあるのかもしれなかったが、ショーウインドウが板でおおってあったり、中を覗くことができてもコンクリートの床と壁が剥き出しになっている明らかな空き店舗も、数軒どころでなく目についた。
ふたつある教会のうちのひとつの前を通過しながら、その戸口あたりを見てみると、ここもドアには斜めに板が打ちつけられていて、教会名が書いてあったはずのプレートも、風雨にさらされてしまって判読することができないのだった。


さらに車をすすめて、角をいくつか曲がると、海に面した、堤防沿いの道に出る。
沖のほうから吹きつけてくる風はさすがに鋭く、私は車の窓を閉じた。
いまはもう使われていない船着き場を横にしばらくいくと、海側に駐車スペースがあった。
奥にちいさな建物がひとつ。そのむこうには中くらいの大きさの船が1隻とまっている。
からっぽの駐車スペースに入って、建物の前まで行ってみる。
入り口のガラス戸から見える内部は暗く、戸に掲示してある貼り紙には、"The Devil's Reef Scenic Boat Tour is closed for the season. Back in early May"。


デビルズ・リーフというのは、インスマス湾の、陸からそれほど離れていないところにうかぶ小島のことだ。
さきほど、海沿いの道に出てきたときから視界の中には入っていたけれども、この遊覧船乗り場からだと、ほぼ正面に見ることができる。
私は車を止め、フロントガラス越しに、島を眺めた。
午後の陽光の中でも、全体がほぼ岩礁で成っているデビルズ・リーフは、暗い色に沈みこんでいて、禍々しさ、というほどのものではないけれども、どこか人をよせつけない雰囲気を持っていた。
いまはオフシーズンだから人気のないのは当然だが、観光の季節になったとしても、これを見にやってくる人が果たしているのかどうか。そんな疑念さえ浮かんでくるほどに。
けれども、私は、そんなその島から、目を離すことができないでいた。


前回インスマスに来たときも、この場所に立ち寄った。
同行していた友人の発案によるものだったし、天気もよくなくて、ほとんど滞在することなく移動してしまったのだが、そのときから、この島の見える風景が、どういうわけか私の心のどこかにひっかかってしまったようなのだ。
理由はよくわからなかった。
もう一度、同じ場所に行ってみたら、それがはっきりするのではないか。
そう思って、今日、ひとりでインスマスを再び訪れることにしたのだ。


結論からいえば、理由を見つけることはできなかった。
直感や感情といったものに理屈をつけようとする行為そのものが、そもそも理不尽なことなのかもしれない。
だけど。
デビルズ・リーフの黒い島影を眺めているうちに、私は思いはじめていた。
それは、郷愁に似た感覚なのだ。
ただ、そうだとわかったところで、どうして私がこの風景に郷愁を覚えるのか、それはわからないままである。


郷愁というのは、長いこと生活していた場所や、それを思い起こさせる景色に対して抱くもののはずだ。
しかし、私が生まれ育ったのは、鹿児島市内を見下ろす高台にある家で、目の前には噴煙を上げる桜島が毎日あった。
海と島。それは共通点だけれども、スケールも、色も、空気のさわりごこちも、何もかもが異なっている。
そして、この感覚には、うまく言えないけれども、私個人の郷愁というものとはすこし違うところがあるようなのだ。
もっと、意識の奥のほう、深い、深いところからわきあがってくる感覚とでもいえばいいのだろうか......。


気がつくと太陽は雲に隠れ、さきほどまではほどよくぬくまっていた車内に、冷気が忍び込みはじめている。
私はキーをまわし、車のエンジンをかけた。
ギアを後退に入れ、駐車場の中で転回して、最後にもう一回、海上に浮かぶ岩礁だらけの島に目をやってから、私はその場所を後にした。


関連:Innsmouth行ってきました 夢の話