隣室から、這い寄ってくる何か。

目が覚めた。
ベッドに横になったまま、しばらくぼんやりと、空中に視線をさまよわせる。
自宅アパートの、自分の寝室。建物の地階にあるこの部屋には、西側の壁の天井近くにちいさな明かりとりの窓がひとつあるだけで、部屋は日中でも薄暗い。外界にまだ夜の帳が降りていないということは、もともと透明だったはずだけれども、長年の風雪や、すぐ目の前を走っている道路から舞い上がる砂塵にさらされて、すりガラスが入っているかのように曇ってしまっている窓が、ほのかに白く光っていることから推測できたが、時刻まではわからない。
私はベッドサイドの小机に置いてあった眼鏡をかけ、本棚の上の目覚まし時計の文字盤を読んだ。
4時30分をすこし過ぎたところだった。真冬は過ぎたけれども、春が来るにはまだしばらく間があるいまの時季、ちょうど昼が終わり、夕方に変わっていく刻限だ。
眼鏡を外して、布団を自分の身体に掛けなおす。今日は、風邪で学校を休んでいるのだ。1時ごろに飲んだ薬がまだ効いているのか、それとも熱があるせいか、頭の中がぐるぐると回っている感じがした。


かた、こと。
もういちど寝入ろうとしたとき、ベッドが寄せて置いてある壁を通して、音が聞こえた。むこう側はルームメイトが使っている部屋だ。ふだんよりもすこし早いけれども、もう帰ってきたのだろうか。もしかすると、彼女がアパートに入ってくるときに立てた物音が、私を眠りから連れ戻したのかもしれない。
かたり。ごとり。
音は大きくなる。何か固いものを床に打ちつけている音に近い。
カタカタカタカタ。ガタガタガタガタ。
聞いているうちに、音の周期がだんだんと短くなっていく。つられるように、音量も上がっていく。気のせいか、横にある壁が、同調して震えているようにも感じられる。
それがどれくらい続いただろう。突然、木の板が折れるときのような、あるいは破裂音のような音が響きわたった。そして、そのあとは、急に静かになった。
私はそれまで止めていた息を一気に吐き出した。それから寝返りをうち、壁に背中をむけるようにして、目を閉じた。音の元が何であったにしろ、起きてそれを確かめに行くような気力は私にはなかった。変な緊張を強いられたせいで、目の前がさらに朦朧としてきていた。


しばらくすると、隣の部屋からは床の軋む音が聞こえてきた。この建物は古いから、歩き回ると必ずそういう音がする。やはり、ルームメイトが帰ってきていて、何かしていたのだろう。あるいは、別の階で工事でもしていたのかもしれない。あとで彼女に聞いてみればわかることだ。
やがて、床の軋みは止まった。つづけて、ドアのノブが回るかすかな音。扉が開く音。廊下を歩く足音。


足音。いや、それは、「足」音と呼ぶにはふさわしくない音だった。たしかにその周期は、人間が歩くときにおこなう、足を上げ、前へ出し、下に降ろすという動作に伴っていてもおかしくはないものだ。けれども、それ以外のものが、人間が発するそれとは明らかに異なっているのだ。
粘りのある、まだ固まっていない接着剤で貼りあわせたふたつの板をはがしているような、べりべりべり、という音。湿った、質量のある塊を地面に叩きつけているような、べちゃり、という音。そしてその合間を、何か重たいものを引きずっているような、ずずずず、という音が埋めている。
そして、その音が廊下を通って向かっている先。それは、私の部屋の戸口なのだった。


私はベッドの上に身を起こし、戸口とは反対方向にあたる壁にぴったりとくっついた。視界がぐらぐらとするのは、今度は熱や風邪薬のせいだけではないはずだ。
音が、ドアのあちら側で止まる。
そして、ノブが、そろそろと、動きはじめる……。

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木曜日にちょっと無理をしていろいろ出歩いたら(授業とか教授とのミーティングとかだったので、行かざるを得なかった部分もあるんですが)、風邪がぶりかえして、熱がまた上がってしまい、昨日(金曜日)は、また薬を飲んで一日中寝てました。そのときに、こんな夢を見た。(一部脚色あり)。今日はずいぶんいいのですが、来週までになおすために、家でおとなしくしています。


でも、熱があるようなときって、変な夢を見ることが多いですよね。子供のころは、よく、天井のシミがじわじわじわじわ広がって、黒いどろどろした物体になって、それが寝ている自分の上に覆いかぶさってくる、というような夢を見てはうなされてました。


(3月3日タイトル変更)