ニシちゃん・1

飼っていたうさぎのフロプシーが死んだのは、小学校にあがった年の、ある冬の朝のことだった。


毎日そうしているように、布団から出てまっすぐ居間に置いてあるケージのところに行くと、彼女は扉のそばの床に倒れていて、いつもなら私が近づいていくとぴょこんと元気に立ち上がる両方の耳も、力なく垂れたままだった。手を伸ばして触れると、灰色がかった茶色の毛におおわれた彼女の胴体は、つめたく硬くなっていた。


いまになっておもいだしてみると、その数日前から彼女の体は変調をきたしていたのだろう。ケージを開け放しても、居間に飛び出して行くことがなくなっていたし、好物のニンジンをちらつかせても、大儀そうにそちらのほうを見るだけで、口をつけようとしなかった。けれども、7歳だった私は、それらの兆候に気づくことができなかった。彼女の死は、私にとっては突然だった。


「フロプシーが動かないの」
いつのまにか背後に来ていた父に、私は告げた。
「死んでしまったんだよ」
父はおだやかな声でそうとだけ言って、私の髪をゆっくりとした動作で何度か撫でた。
「しんだの?」
「もう、ご飯を食べたり、ハルコといっしょに遊んだりすることができなくなったんだ」


父は出勤していき、母は勝手口の外にごみを出しに行っていた。私はひとりでケージの脇にしゃがみこみ、動かなくなったフロプシーの体を見ていた。


――私は生まれてすぐのころ、重い病気に罹った。死ぬかもしれない、と医者に言われるほどの大病だったという。
そのことを私がはじめて両親から聞いたのは、小学校の入学式の何日か前のことだったと記憶している。
「しぬってなに?」
そのとき、私は両親にそう訊ねた。
「体が動かなくなるんだよ。そうしたら、ご飯を食べたり、お友達やフロプシーと遊んだりできなくなるんだ」
それが、父から返ってきたこたえだった。


そして、私はそのために、一週間に一度注射を受けつづけなければならないのだ。
小学校に入ったら家にいる時間がいままでよりも短くなるから、自分だけでも注射ができるように練習をはじめないといけない。
注射器のしまってある場所。(このころは二階の洗面所だった。)袋の開けかた。腕の内側の、肘のすこし先のところの血管を探して注射針をさすこと。中の液体がなくなるまで、ゆっくり注射器のうしろのでっぱりを押すこと。
このときに聞かされたのは、そのような内容だった。――


この薬のおかげで、私はご飯を食べたり、友達と遊んだりしつづけることができているのだ。
この薬があるから、私は死なないでいるのだ。


私が死なないでいられるのだ。だったら!
私は弾かれたように立ち上がり、二階への階段を駆けのぼった。洗面台の横の、下から二番目の引き出しを開ける。中には、ちいさなビニールの袋に分けられて、黄色のような緑色のような色の薬品をみたした注射器がいくつも入っている。
そのひとつをつかんで、私は階下に戻った。いそいで袋を開封し、ケージの柵ごしに、フロプシーの前足に注射針を突きさした。


次の瞬間に起こったことを、私は一生忘れないだろう。フロプシーが死んでいることを発見したときに感じたショックでさえも、その経験のせいで、記憶の中のさほど重要でない一角に追いやられてしまった。
彼女は起き上がったのだ。
元気だったころと同じか、あるいはそれ以上の勢いのよさで。
そして、私のほうに向きなおり、柵をめがけて突進してきた。まるで、そこに柵があることに気がついていないように、ぶつかっても、何度も何度も突撃を繰り返した。
そのときの彼女の顔!
やさしそうだった黒目がちの眼は充血して真っ赤になり、口は肉食動物のそれのように獰猛に開かれ、横におかしな形で突き出された舌からは、大量の唾液がしたたっていたのだ。


私の泣き叫ぶ声を聞きつけた母が居間に入ってきたときには、その狂気の発作はすでに終焉していた。
フロプシーは柵のすぐ脇に横たわり、動かなくなっていた。
二度と、動くことはなかった。


その日、私は学校を休んだ。夜、帰宅した父に、私はきつく叱られた。
父は言った。この薬は、私の体にあうように調合されているのだと。だから、絶対にほかの人や動物に使ってはならないのだと。


薬は、フロプシーには効きすぎたのだ。彼女の体は、当時ちいさかった私の体に比べても、十数分の一しかなかったのだから。