「今日の早川さん」を読んで。

以前(けっこう前)のエントリで「今日の早川さん」のことに少し触れました。そのとき、あとでちゃんとした紹介を書く、というようなことを言いつつ何もしてなかったんですが、そろそろ載せておかないと2巻も発表されてしまいそうなので、載せます。

実は、純粋なレビューとか感想というよりも、自分が言いたいことの方向に走ってしまったので、載せるのかどうかを迷っていました。実際、まったく紹介にはなっていないので、その点はごめんなさい。ただ、やっぱりこれが私の「感想」ではあるし、言いたいことでもあるので……。

文章が必要以上にカタいのは、こういう文章を書くときの私のクセなんだと思います。これも、読みにくかったらごめんなさい。ぶきっちょなんです。

というわけで。


今日の早川さん

今日の早川さん

(2/19/08書籍情報追加)


(偏った)本好きな少女たちの(ひねくれた)友情と成長(しない)を描いた作品。登場人物に対する愛情に満ちた筆致によって、好感のもてる仕上がりとなっている。登場する少女たちの立場に共感が持てる人(オタク的本好き。ジャンルは問わないが、SF、ホラー作品に触れたことがあるほうがより楽しめる)には必読の一冊。読了するころには(変な)勇気をもらっていることだろう。

この「(変な)勇気を得た感覚」というものは、本作品が(特異な嗜好を持っているとはいえ)自分はひとりではなかったという安心感、主流から外れたある意味特殊な共同体に属しているという連帯感を与えてくれることに由来しているのではないだろうか。ただし、これらの安心感、連帯感は登場人物の言動によるものだけでなく、それらを通して間接的に、作者、そして(書籍として出版されるからには存在しているであろう、それなりの規模の、感覚を共有しうる)読者の存在を感じ取ることができる、という点に負う部分も大きいと思う。

このような、書籍を介在しての感覚の共有という現象は、インターネットを通じての共同体の構築という現象に類似している。両者に共通しているのは、ある種の媒体(メディア)が、地理的に拡散した、近似した興味、境遇を持つ人々を(直接、間接を問わず)結びつけ、感覚、意識の共有を可能にする役割を果たしていることである。(インターネットを含む比較的新しい情報通信技術が果たす、地理的に拡散した、興味、境遇などを共有する人々を結びつける役割については、Wellman他(*1)が詳しく検討している。)そういう意味で、この本が、作者によってインターネット上で発表された作品群を基にしているという点は非常に興味深い。

メディアを介在した共同体の構築や感覚の共有は(特にインターネットや携帯電話といった「新しいメディア」を介在したものについては)、一般メディアにはいまだに蔓延している言説において、「現実」の社会生活から乖離した「非現実」(あるいは「バーチャル」:この言説においては、しばしば「バーチャル」と「非現実」は同義として扱われる)なものであり、それゆえ「現実」の社会生活に悪影響を与えるものとして論じられることが多い。しかし、学術的には、このような形態のコミュニケーションや、それらを通した共同体の構築が「現実」の社会生活に深く根ざしているということは既に認識されている。「(より伝統的な)対面コミュニケーション」と「(比較的新しい、あるいは伝統的な主流から外れた)バーチャルなコミュニケーション」を「現実」対「非現実」の二元論に当てはめて論じることはきわめてナンセンスである。

やや異なった方向から言うと、この本を読むことによって生じる「(変な)勇気を得た感覚」というものは、読者がある種の「オタク」であることによるものではあるが、その現象そのものを「オタク」に特有の現象であるとして(一般メディアがよく試みるように)「普通の」(あるいは「現実の」)社会生活から異化して考えてはならない、ということである。(同様のことは、インターネット上のコミュニケーションや、そこに発生する共同体にも言える。)このような感覚の共有、共同体の構築は、一般的に「普通の(現実の)社会生活」と呼ばれている場でも(異なるレベルにおいてではあるが)日常的に行われていることであり、決して「非現実」への「逃避」ではないのである。


(*1) Wellman, B., Quan-Haase, A., Boase, J., Chen, W., Hampton, K., de Diaz, I. I., & Miyata, K. (2003). The Social Affordances of the Internet for Networked Individualism. Journal of Computer-Mediated Communication, 8(3).

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